孫の手が離せない ― 2025年05月22日 17:14
孫の手が離せない
抗がん剤の副作用で、皮膚炎になった。手の甲や腕に炎症が起きる。塗り薬を処方してもらって対処してきた。抗がん剤の投与をやめてからだんだん手や腕の炎症はおさまった。
それは良かったのだが、今度は背中や腹まわり、ふくらはぎが痒くなりだした。とくに夜に痒くなる。夜中に痒くなるとじっと寝てられない。手の届くところは薬を塗るが、そうでない背中はプラスチックの定規でかいていた。
孫の手がいる。散歩のついでに100金のダイソーで買ってきた。具合がわからないので、手のかたちをしたシリコンゴムの柔らかいのと、硬いプラスチックのものを買った。
さて使い勝手はどうか。まず、シリコンゴムは柔らかくて全く役に立たない。爪のない赤子の手である。次に硬めのプラスチック、これは何とか上手く使えばかくことは出来る。だが、背中じゅうあちこちかき出すと先の手が裏返り手の甲でかくことになる。これまた、今一役に立たない。
一見して伸び縮みする軸は携帯には便利だなと思った。だが痒みが出るのは夜なので携帯することはない。伸び縮みするが故に肝心の手先がくるくるまわっては使い物にならない。先の手を裏表のない形にするか、円盤にすれば使えると思う。
そうこうしているうちに、親戚からプロの作った竹の孫の手をもらった。手づくり民芸のシールがある。これはいける。やはり昔から使われているのは上手くできている。

自坊に行っているときも痒みは容赦なく出てくる。昔あった肩たたき付きの孫の手はいずこか。定規ではそのうち怪我する。竹はいくらでもある。ということでプロのを真似て作ってみた。手の部分は曲げるのは面倒なので、節を利用した。かきすぎると怪我をしそうだが、まあまあ使える。
それにしても背中の痒みは副作用(体は水分が保持できず、脱水ぎみ)なのか、皮膚の老化なのか分からない。6月中旬に診察がある。それまで孫の手のお世話になるか。
幸太郎 九拜
雨樋の詰まり ― 2025年04月21日 18:02
雨樋の詰まり
樹木にかこまれた建物は何かと問題がでてくる。雨樋の詰まりがその典型である。落ち葉が詰まるのである。もちろん詰まることは分かっているので、大きなサイズの樋にしてあるし、網状のカバーもつけた。これで落ち葉は入らないが花の額やら小さな木の実が網目を通過するのである。
病気になってからは雨の日に来ることがないので気づかなかったが、この前たまたまの雨で発見した。倉庫の雨樋が上の枡からあふれている。下の排水口は泥で詰まっている。細い木の枝で泥をかき出したが水は出てこない。道具もないのでこの日は何もできなかった。
パイプを掃除する道具がいる。90度の曲がりを通す必要があるので、柔軟で腰があるワイヤーがいる。色々調べてバネ状のワイヤーを買った。長さは5メーターである。2千円ぐらいしたかな。

晴れた日、下から入れてみたがうまく入らない。樋の径が100ミリぐらいあるので、詰まった泥塊に当たってUターンしてしまう。では上から入れたらどうかというので下屋の上に登った。
なんと半円の樋は泥で一杯で網から草が生えてプランターの様である。網をはずして泥をかき出した。何年もの間、見てもいないし掃除もしていない。木の実なんどは重たいので流れずにたまっていくのだ。更に腐りにくく、細かい腐植土のようになっている。ただ、縦樋の上の方までは詰まっていなかったので助かった。
さて、例のバネワイヤーを上から突っ込んでみた。うーんどうも途中でつっかえているようで、うまく入らない。樋に水を流して掻き回すも何ともならない。下から染み出してはいるようだが、泥は出ない。

グニャグニャになるワイヤーではどうにもならない。少し長めの太い針金が良いかもと、番線を思いついた。足場を組むのによく使う。太さ3ミリぐらいの針金、樋の曲がりは通過できそうである。下から突っ込んでグリグリやった。何と少し水みちができた後、栓が抜けたように音を立てて泥塊がでてきた。

縦樋の詰まりの原因は、単純な話である。樋の出口は細いU字溝につながっている。その先は地面にガラをつめたくぼみである。この簡易排水溝にたまった泥が樋の排出口の栓になったのである。水はしみ込んで引くが行き場のない泥はどんどん樋にたまっていった様である。
樋を詰まらせた樹木は椋の大木でこの倉庫のうえをおおっていた。夏場でもお陰で倉庫は暑くならず、役立っていたのだが、道路にはみ出していたので去年切った。置き土産たっぷり、株はまだ生きているので毎年出てきたひこばえを切らないといけない。建物のそばに木を植えて放っておいたらろくなことはない。こまめな管理は必須である。
今回は実質的に倉庫に被害はなかったが、木造の家に近接する樹木はみんな切ることにしよう。いずれ面倒を見られなくなる。今年の秋には始末したい。体力がいる。片手でチェーンソーを上げられるように筋トレを始めるかなぁ。それともプロに頼むか体力の回復にかかっている。悩ましいかぎり。
やっぱり やれやれ・・です。
幸太郎 九拜
春がきた(剪定に挑戦) ― 2025年04月10日 15:47
春がきた(剪定に挑戦)
季節はすでに春、24節気では清明と言うらしい。桜の花が眩しく、木の下で一休みする人も楽しそうである。
こっちはそんな花見の雰囲気を味合うどころではない。というのは植物が芽吹きだすとどうしても田畑や庭の草とりや剪定を思い浮かべてしまう。しんどい作務が始まるのである。
病気のため昨年は庭木や生垣に手を入れていない。1年放っておけばどうなるか。生存競争で強者がよく育ち、元気に伸び放題である。さらにつるが大きな木にまとわりついてその樹勢を弱め、放っておけば樹木は負けて枯れてしまう。庭も田畑も荒れ放題になっている。
夜中にトイレで起きるとこんな自然の摂理が鮮明になって、眠れない。そこそこ成長した樹木は一年経てば確実に太く大きくなる。自分の年や体力のことを考えると、できるだけ小さくしておきたい。ふと、あそこの松はもう限界かな、早く切らねば手に負えなくなると布団の中で焦るのである。
切り詰めたい樹木はいろいろある。とりあえずは墓のそばで大きくなった槙の木を伐採することにした。これはかなり大きいのでプロに頼んだ。
作業当日、見ていると木に登って上の枝から落としていった。足場を確保しながら幹も切ってゆく。さすが、軽く半日仕事であった。
(三又の幹は根元で切って倒した)
次の優先は建物のそばで大きくなった松の木である。屋根より上に伸びている。松葉やおしべの殻が雨樋にたまってつまるのである。頂部を切り詰めて屋根より低くしたい。
この松に取り掛かる前に、体の慣らしを兼ねて脚立で届く高さの松や樫を剪定した。
(土塀は朽ちかけているので、ポリカの波板を被せてある)
さて、大物に取り掛かるとするか。体調は万全ではないが、午後なら休みやすみ動けるようになっている。とにかく頂部の松葉だけでも落としたい。
先日プロの切り方を見ていたので同じように上の枝から落としていった。木の上まで登って、左手で幹を抱きかかえ、右手でチェーンソーである。肩より上にチェーンソーを持ち上げのはかなりきつい。枝の腕にチェーンソーをあずけるのがやっとで、あとはソーの重力にまかせた。おがくずを顔に浴びながら必死のパッチ。危ないあぶない。
結果は写真の通りで、頂部の細い枝はやっとこさ切った。太い枝と幹は諦めた。松は葉っぱを落とせば胴吹きの芽は出ない。葉のない幹はそのうち枯れる。枯れると軽くなるのでそのときに切れば良い。
やれやれ、体力の回復が樹木の成長にギリギリ追いついたようで、ひとあんしん。他にも問題は山積だが少し時間の余裕がある。もうちょっと体力の回復をまとう。
これで、夜中のトイレで目がさえなければ良いのだが、そうはいかんやろうなあ。
・・・ある老僧、つぶやく・・・
自然豊かな山寺の境内、樹勢の強い雑木がそのうち貧寺をのみ込み同化するぞ。
共存のために知恵しぼれ。貧寺に似合いのあり方を創造せい。そーれ、今の世界とそっくりではないか。生み出せ 生み出せーい・・・
幸太郎 九拜
まだ、草刈りはしんどい ― 2023年12月14日 16:28
まだ、草刈りはしんどい
草畑の荒れた現状を知った。これが厄介で、打ち寄せる波のごとく幾度となく頭をよぎる。精神的によろしくない。
スッキリしたいので、先日、草刈りに挑戦した。自坊で一泊する事になるので、昼食→夕食→朝食→昼食の準備がいる。前日に、冷凍など保存がきくものを適当に買って行った。
(写真の他にカップヌードルを買った。プラ容器はご飯と茹で菜花、ハンバーグは良かったが、ドリアは口に合わなかった。一泊は何とかなった。)
朝、10時頃から休み休み15時ぐらいまでやって、7割ぐらい刈った。草刈機はホンダの4サイクルを使った。電動もあるが非力なのである。
かなり持久力がなくなっている。20分と持たない。また、べたっと倒れた枯れ草、所々をツルが覆うのは刈りにくい。直立する草をスパッと刈った時の爽快感が全くない。さらに不満が機械に向く。まず、エンジン式の煩わしさ。騒音の為の耳栓、ガソリンの補給、それに4サイクルなので重たい。
翌日、チップソーを新しいのに替えて残りを刈った。午前中いっぱいかかって9割終わった。作業のしんどさは変わらない。まあ、気になってたところは刈り終えたので、ひとまず、精神的には落ち着いた。
(草は種を実らせている。それらをばら撒いた状態、来シーズンが怖い。)
家に帰って色々考えた。体力回復と老化はどこでバランスするか、あと何年作務ができるかなどである。誰もわからない事である。で、結論は電動草刈機を買い増す事にした。
自己満足のための必要理由は、あと10年ぐらいやるとして、体力は元には戻らない。優先するのは機械の軽さと手軽さである。今、持っている電動機もそこそこ刈れるが、10年ぐらいたつので替え時である。色々進化しているはずだ。音が静かな電動はラジオを聞きながらできるのも良い。
と言う事で、インターネットで調べて、マキタのMUR015GRM を選んだ。価格は65,423円であった。楽天のポイント3000ぐらいを考慮したら一番安かった。
今持っている電動機類はマキタが殆どで、特に不満はないし、他メーカーを試す余裕もないのでキマリであった。
春に出番がくる。暖冬なら少し早まるかもしれない。体力回復とあわせて少しワクワクする。
協生農法と自然農法 ― 2023年12月04日 14:53
協生農法と自然農法
ついこの間、テレビのニュースか何かで協生農法という言葉を知った。草と一緒に作物を植えるらしい。これって一昔前の自然農法とどう違うんだろうか、気になる。
自坊の草畑は自然農法と自称してきた。今年は病気で7月から今まで、草刈りもせず放置したままである。10月末に、見回りに行った。案の定、ひどい状態になっていた。草はすごい。
6月末の畑:元気な時、梅雨の合間に、草を刈った。右はゴーヤのネット
10月末の畑:闘病中の我の如く、ゴーヤのネットは倒れて草の中
草たけは膝上から腰あたりである。今年の夏は雨が少なかったので、この程度で済んだのかもしれない。みかん類も枝枯れが目立つ。オリーブの若木は枯れていた。
話を戻そう。協生農法である。ネットで調べたり、AIにたずねたりして大体わかった。さすが、AIは無難な返答である。それによると、自然農法との差異はあまりなく、強調点が少し違う程度だそうだ。どちらも、化学物質の排除と、生物の多様性を重視する点で共通する。
さて、元気になれば調べたいと思う。一見したところ草だらけで、毎年生える実生の大根が見当たらない。大根は嫌光性種子らしいので、日当たりはあまり関係しない。気温の問題かな。
農法と名のつく限り、手入れせずして何も育たない。放置すれば雑草だらけの林になり、あっという間に耕作放棄地となる。自然とか協生とかの名にごまかされてはいけない。庭でも田畑でも人の都合に合わせて育つ植物はない。
病気になって身にしみた。自然が迫る生活環境で暮らすには、まずは体力、次にお金が要る。畑といっても、1日で草を刈れる程度のものであるが、いつまで、できるかどうか。さらに、本堂は雨漏りで、一部の畳をあげている。そこそこ自力で管理してきたが、何れ限界が来る。できなければ他人に頼むしかない。
老齢の問題は介護だけではない、今住んでいるマンションも含めて、生活の場も既に老化でいろいろ出てきている。小手先で片づくことではない。
はや師走入り。問題意識だけが走馬灯のように、かけめぐる。あれもこれも病気のせいで済めば良いのだが・・・。











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