猛暑日の散歩 ― 2024年08月04日 08:30
猛暑日の散歩
退院して2週間が過ぎ、ようやく抗がん剤の副作用が引いてきた。下垂足で左つま先が上がらなかったが、かなり回復してきた。運動しなきゃと、歩きに出かけたものの脚の筋力が落ちてしまって、スムーズに歩けない。何ヶ月も杖に頼っていたので仕方ない。それにしても、動かさなければ筋力はすぐに落ちることにびっくりである。
歩くといっても1時間ぐらい近所をうろつく程度である。この最近は猛暑日が続いているので、陽の当たらない商店街をうろついている。みんな考えることは同じで、買い物、通学、散歩と老若男女が行きかう。さらに自転車が歩行者の隙間を縫うように走る。特に若いママの電動アシスト自転車が危ない。決してスピードを落とさない。
わが街を走る自転車、特に若い?女性は交通ルールを守らない。信号無視、逆走、歩道の高速走行など当たり前、子供にヘルメットを被せても自分は被らない。せめて子供の前で信号無視はしないでほしい。
わが街の車道は狭くて自転車で走れたものではない。だからもっぱら歩道を走ることになる。ヘルメットの着用が努力義務となったものの、暑い日中にちょっと買い物でヘルメットは流石に無理なように思う。
久しぶりに街に出たときは、色々新鮮に感じたが、すぐに慣れてしまう。猛暑日の散歩は熱中症に加えて自転車に気をつけねばならない。マナーの悪さに悪態をつく元気もなく、ストレスを増す。何ともきつい夏である。
来週、4クール目の点滴入院である。この薬剤の効果を判断する節目になる。ここで事故にでもあったら大変だ、用心のために杖を持つかなぁ。
闘病とネットの功罪 ― 2024年08月09日 10:14
闘病とネットの功罪
ガンが見つかって一年近くになり、ここ数ヶ月は抗がん剤の副作用で外出がままならない。終日家にこもることが多い。そんな日常で、もっぱら世の中の情報はTV、ラジオ、パソコンから得られる。中でもパソコンは双方向に情報交換ができるので利用する機会が多い。
前にも書いたが、ガンで体型が激やせになり、ほとんどの服がサイズオーバーになった。仕方なく今の体型に合うものを買うとになる。身につけるものは人に頼まず自分で選んで買ってきた。動けない今は、もっぱらインターネットで買うことになる。
さて、これが曲者である。商品の閲覧、比較、発注、支払いが容易にできる。家にいてほしい物が一週間ぐらいで手に入るのだ。だから、今必要なものと、近い将来必要になりそうなものも、ついでに買ってしまう。
闘病中なので、すぐに着て行くわけではない。外出シーンを想定して、その時のために場にふさわしいスタイルと合ったサイズの服を買っておくのである。バーチャルで自画像を描いているようなもので、それはそれで楽しい。
ちょっと先の元気な姿を想像している間は、病気の鬱陶しさはどこかに飛ぶのでしばし気分が晴れる。こんなことで、ネットショッピングは癖になってしまいそうである。
問題は買いすぎることである。ショップのセールス戦略も多彩で、割引セール、クーポンの配布など期限を切ってあおってくる。あるショップでは、閲覧して購入に迷った物をお気に入りに登録しておくと、在庫状況をメールで知らせてくれる。
在庫は僅かから始まって、残り2点、1点となり、消費者心理は巧妙に注文へ導かれる。まあ世の中の仕組みはこんなもんかと素直に納得して、純ぼくなボクは釣られて買ってしまう。
こんな場合は、それなりに時間をかけて考えているのでまだ良い。怖いのはその時の勢いで、えーいと買ってしまうことである。とくにバーゲンセールは、お買い得だと思い込んでいるので危ない。
闘病中だからの甘えが頭の中を駆け巡る中、衝動買いに走らないための策は、時間をおくに尽きる。一晩やり過ごせば、明朝には必要性が薄らいでいて、なくても良いかなとなることが多い。
ネットショッピングに慣れればこんな楽なことはない。セールスの仕組みを理解し、マインドコントロールの仕掛けをゲーム感覚で受け止めれば、けっこう楽しめるのではないか。
ネット空間は人の欲望、とくに知識欲を瞬時に満たしてくれる。AI も登場して能力の限界がみえない。真偽、危険、誘惑・・・混沌たる宇宙であるが故にその魅力は尽きない。
ネットは地球規模となり現代では重要なインフラになっている。フットワークの悪い高齢の闘病者となった今、夢とロマンをかきたてられるもっとも身近な世界が、ネットであることも実感している。
そろそろまとめよう ・・・受け身は苦、攻めは安楽への一歩・・・すなわち自らの我欲が満足されない限り心に喜びは生まれない。攻めの挑戦が心の喜びの原点である。
闘病中の活動は制限される。そんな生活でネットは楽しみの宝庫である。せいぜい攻めのネットサーフィンで心身を喜ばせて楽しく健やかに過ごしたい。
だが、バーチャルで自画像描いて万単位の買い物をすることになる。頻繁にできることではない。そろそろ「足るを知る」のブレーキを踏んで、衣服はシーズンごとに1、2点にしようかな。
それに、いかなる買い物も快感を伴う。常習にならないようにも気をつけねば ・・・
今回4回目の点滴入院である。3日目になり弱い倦怠感、吐き気、食欲不振などの副作用が出だした。
そろそろ病人モードに切り替えまーす。
幸太郎九拜 @病室
楽しく生きる? ― 2024年08月17日 11:57
楽しく生きる?
日々の生活は楽しくありたい。生活の基本的な要件は衣食住である。楽しく生きるためには衣食住を充実させるのがベースになると思う。
日々の生活で手軽に楽しみを見いだせるのは、衣と食である。さらに、闘病中は食がままならない。そう、残るは衣なのである。ショッピングは楽しいし、ファッションにもひかれる。外出できなくても、毎日、着替えれば気分転換になるし、かず少ない自己表現の機会でもある。
ところが、先のブログに書いたが、衣服についてのインターネットショッピングは癖になるので気をつけよう、また、闘病中とはいえ甘えることなく、足るを知れともう一人のおのれがつぶやくのである。
・・・普通、人は衣食を適当に楽しみながら生活している。なので、こんなうんちくをならべることではないのだが、暇なものでどうでもいい事に引っかかってしまった。頭の体操のつもりで、ちょっと整理してみた ・・・
自分には小さい頃からの習いのよそ行きという文化、擦り切れるまで服は着るといった意識が、美徳としてしっかりと根づいている。よそ行きが、くたびれてきたら普段着に回し、すり切れたら処分する。この循環は物質としては理想的である。
問題はこの質素倹約志向と遊びのバランスをどうとるかである。言いかえれば、我欲のコントロールの問題である。さらに突っ込むには修行がたりない。この程度でここではやめておこう。
さて、年齢もさることながら、この期におよんで、よそ行きがくたびれるまで付き合ってる時間がない。だから、用途の区別をなくし、どんどん着替えて衣を楽しまねばと思う。病は気からという。楽しく気を晴らし回復を加速できたらすばらしいではないか。
ということで現状は、しのごのゆわんとネットショッピングで遊んだらええねんとなる・・・そうやろ、頭でいろいろ考えても人は楽しいことしかせーへん ・・・ それが自然体でむりがないんや ・・・ あーしんど ・・・
抗がん4回目の副作用 ― 2024年08月20日 17:18
抗がん4回目の副作用
抗がん療法に副作用はつきものである。振り返ってみれば回数を経る毎に副作用は弱くなっているように思う。
初回は強く出て、次の入院は憂鬱であった。3回目あたりから副作用の出方が違うなあと思っていたが、4回目が終わった今、さらに出方が弱まったように思う。ただ、全くないわけではなく、回復時間が短くなっているようである。
このまま回復軌道に乗ってくれれば良いのだが、波があるのでまだ安心はしていない。人体のしぶとさを感じる。癌もしぶといし、環境適応力もたくましい。
副作用のうち食欲は相変わらず無い。4回目ともなると薄味の病院食を受け付けなくなった。見た目や臭いで条件反射でいやになる。だから退院後も薄味はいただけない。高血圧のために、ずっと薄味でやってきたのに、残念ながら塩が欲しい。
これさえなければ、5回目をやることになってもさほど鬱陶しくはないのだが、困ったものである。栄養剤でしのぐ手もあるのでそれでいくかな。
まだ、次の治療法は決まっていないので、今思い悩んでも仕方ない。副作用とは長い付き合いになる。これまでの経験から次のように捉えている。
・ 副作用の出方は治療回数毎に弱まる。
・ ガイドにあげられている、よく現れる症状はだいたい出てくる。
・ 症状の予防軽減にはドクターの指示を忠実に実施するのが一番である。たとえば、口内炎には処方されたうがいでかなり軽減できた。
出方に個人差がある副作用、自分はこの程度で耐えられないほどではないとわかった。やれやれである。
地震臨時情報・断捨離 ― 2024年08月25日 11:25
地震臨時情報・断捨離
8月8日に宮崎・日向灘の地震があった。入院してたので気がつかなかったが、看護師さんが病室のチェックに回ってきた。とくに異常はなかった。
その後、南海トラフ地震臨時情報がだされた。わが家では防災の備えはなにもしていない。退院したらやろうと色々構想している間に、一週間が過ぎ地震注意の呼びかけは終わった。
この機会に対策としてまずは家具を固定しよう。寝ている間に下敷きになってはかなわない。突っ張り棒とやらをかまそう。ホームセンターにでかける元気がないので、ネットショッピングで買うことにした。
ニュースで流れているように、防災グッズは在庫切れである。慌てても仕方ない。家の中を見わたせばすぐにできることは山ほどある。とりあえずは箪笥の上のダンボールを始末しよう。ほとんど衣類である。本棚では昔の図書、カセットテープ、ビデオカセットなど化石になっている。
こんな状態なので、わが家の防災対策の一歩は断捨離となる。去年の4月にこのブログで断捨離の必要性について書いた。( http://aaji.asablo.jp/blog/2023/04/ )高齢者の断捨離である。癌が見つかる前である。当時から問題意識を持っていたものの進んでいなかった。
病気になってから、終活も現実味をおびてきた。これもまったく手をつけていない。なにからやるか、やっぱりまずはせまい家のゴミを片づけて、介護グッズをおくスペースをつくろう。ということで終活の一歩も断捨離なのだ。
終活には暗いイメージがつきまとうが、必ずおとずれる死への準備である。生活環境を変えていかねばならない。目に見える形からととのえることで、不安でいっぱいだった心も落ちつきがはやい。
闘病で体型は激変した。元に戻る可能性はないこともわかった。おかげで衣服の断捨離はやりやすくなった。ネットショッピングを楽しみながら、断捨離で防災そして終活だ。
9月1日は防災の日。タイミングは良い。わが家のイベントの目玉は断捨離にしよう。
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