春がきた(剪定に挑戦)2025年04月10日 15:47

 春がきた(剪定に挑戦)


 季節はすでに春、24節気では清明と言うらしい。桜の花が眩しく、木の下で一休みする人も楽しそうである。

 こっちはそんな花見の雰囲気を味合うどころではない。というのは植物が芽吹きだすとどうしても田畑や庭の草とりや剪定を思い浮かべてしまう。しんどい作務が始まるのである。

 病気のため昨年は庭木や生垣に手を入れていない。1年放っておけばどうなるか。生存競争で強者がよく育ち、元気に伸び放題である。さらにつるが大きな木にまとわりついてその樹勢を弱め、放っておけば樹木は負けて枯れてしまう。庭も田畑も荒れ放題になっている。

 夜中にトイレで起きるとこんな自然の摂理が鮮明になって、眠れない。そこそこ成長した樹木は一年経てば確実に太く大きくなる。自分の年や体力のことを考えると、できるだけ小さくしておきたい。ふと、あそこの松はもう限界かな、早く切らねば手に負えなくなると布団の中で焦るのである。

 切り詰めたい樹木はいろいろある。とりあえずは墓のそばで大きくなった槙の木を伐採することにした。これはかなり大きいのでプロに頼んだ。

 作業当日、見ていると木に登って上の枝から落としていった。足場を確保しながら幹も切ってゆく。さすが、軽く半日仕事であった。



(三又の幹は根元で切って倒した)


 次の優先は建物のそばで大きくなった松の木である。屋根より上に伸びている。松葉やおしべの殻が雨樋にたまってつまるのである。頂部を切り詰めて屋根より低くしたい。

 この松に取り掛かる前に、体の慣らしを兼ねて脚立で届く高さの松や樫を剪定した。


(土塀は朽ちかけているので、ポリカの波板を被せてある)


 さて、大物に取り掛かるとするか。体調は万全ではないが、午後なら休みやすみ動けるようになっている。とにかく頂部の松葉だけでも落としたい。

 先日プロの切り方を見ていたので同じように上の枝から落としていった。木の上まで登って、左手で幹を抱きかかえ、右手でチェーンソーである。肩より上にチェーンソーを持ち上げのはかなりきつい。枝の腕にチェーンソーをあずけるのがやっとで、あとはソーの重力にまかせた。おがくずを顔に浴びながら必死のパッチ。危ないあぶない。


 結果は写真の通りで、頂部の細い枝はやっとこさ切った。太い枝と幹は諦めた。松は葉っぱを落とせば胴吹きの芽は出ない。葉のない幹はそのうち枯れる。枯れると軽くなるのでそのときに切れば良い。

 やれやれ、体力の回復が樹木の成長にギリギリ追いついたようで、ひとあんしん。他にも問題は山積だが少し時間の余裕がある。もうちょっと体力の回復をまとう。

 これで、夜中のトイレで目がさえなければ良いのだが、そうはいかんやろうなあ。


・・・ある老僧、つぶやく・・・

 自然豊かな山寺の境内、樹勢の強い雑木がそのうち貧寺をのみ込み同化するぞ。

 共存のために知恵しぼれ。貧寺に似合いのあり方を創造せい。そーれ、今の世界とそっくりではないか。生み出せ 生み出せーい・・・


             幸太郎 九拜

               

コメント

_ やっちー ― 2025年04月21日 15:02

驚いたよ!! 木登りをするなんて。でもとんでもなく危険がいっぱいの匂いがする。焦るなと言っても急いでしまう。さてどうする。

_ アージ ― 2025年04月24日 11:39

確かに焦ってしまいます。どうしても気になることがあって、少し身体が動いて何とかなりそうだったら、じっとしてられない。過信は禁物、気をつけないと事故を起こす。どうしたもんかなあ。

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