闘病を考える2024年04月14日 16:31

 闘病を考える


 ガンになって闘病記が気になる。世に出ているのは、ある意味勝ち組の例である。完治するしないにかかわらず、皆さん、生き様として立派である。闘病というよりは、十分に生き抜いたというほうがあっている。

  NHKスペシャル 坂本龍一の最期の日々を見た。闘病に苦悩するドキュメンタリーである。ステージⅣのガンでガン治療のフルメニューで、副作用が半端でないのがよく記録されている。

 音楽に助けられながら、最期まで一抹の望みを持っていたようである。普通の闘病生活のようにも見えるが、音楽が生活の一部になっていて、音楽だけが正気を保つ唯一の方法だったと言っているように、それで不安と恐怖の負のスパイラルに落ち込まずにすんだようだ。

 ピアノでAquaをひいていた。やけに心に沁みた。素晴らしい。

 闘病とか、最期の日記とか目にできるのは作家や芸術家に限られる。彼らに共通しているのは、手に職を持っていて死ぬまでそれに打ち込んでいることである。それは言葉で言い表せない心の叫びを芸術でアウトプットする手段を持っているということで、その役割は精神の安定に大事なようである。

 そういうものを持っていない普通の人の話しも読んだことがある。ステージⅢの子宮がんで47歳でこの世を去ったそうだ。彼女も治療しながら、自身の体験をSNSや、地方新聞に寄稿していたそうだ。自身の思いや感情を表現するのは、芸術家と変わるものではない。

 歳とれば病気でなくても、身体は衰え、機能を失っていく。ガンは予想外のスピードで死に至ることがあるので、心の準備が追いつかないこともある。こんな時ほど日課というか、何か好きなもの没頭できるものが、心をととのえるのにいるのだと思う。

 自分の場合は、ガンとは言え死の意識はうすく、まだ、ひとごとである。現実に死がせまると、必ず怖くて、不安になる。これで落ち込んだままでは心の整理もつかないまま、おさらばになってしまう。

 闘病記を目にして、何かこのままで良いのかふと考えてしまう。このブログで少しは頭の整理ができているのかもしれない。だが、何か物足りない。感情のアウトプット手段がいる。やっぱりアートに惹かれるので、とりあえずはタブレットで遊んでみるかな。


佐伯祐三 回顧展2023年06月08日 15:59

 佐伯祐三 回顧展 @中之島美術館


 久しぶりに美術館に行ってきた。佐伯祐三、142点の大回顧展である。油彩では好きと言うか、憧れる画家である。ヴラマンクやユトリロの影響を受けているらしいが、確かにそれなりに感じられる作品が幾つかあった。



 ヴラマンクか?



 ユトリロか?


 いづれも自分では描けない迫力である。須田剋太も力強いが、佐伯のパリの壁はすごい。


 つぶやきが聴こえる。「オレは生きてるぞ、お前はどうや」


 パリに渡ってまもなく、フォービズムの巨匠ヴラマンクに言われたらしい。「描くのは対象の表面上の色、光と影ではなく、物質本来が発する色をみよ」なるほど、写生と言うけれど、対象との心の会話である。それが出ないと、絵にならない。子供は心に映ったまま、技なしで出してくるので自然と絵になる。

 佐伯も初期の頃の絵は、技が優位に見えるが、晩年は技に心象描写の豊かさが加わり、その深みが心をひきつける。




 画家の癖かもしれない。人物でも建物でも左に傾いている作品が多い。小学生の頃に水間寺の三重塔を写生した。やはり左に傾いていたのを思い出した。

 この日は、6回目ワクチンの副反応上がりなのだが、午前中はジムで少々やり過ぎ、昼食後1時間も寝てしまった。急ぎ中之島へ、3時過ぎから閉館の5時まで立ちっぱなしであった。

 お陰さんで、脳にいつもと違う刺激が入って妙に頭はさえ、脚はガタガタで、調子は昔よくやった立ち飲み2時間、4、5杯?と言ったところか。帰りの電車では、珍しく席を探していた。

 数年来、絵を描いていない。自分の絵の評価は別の機会にするとして、再開するかなあ。かなり刺激を受けた次第である。あらためてアートの力はすごいと感じた。良かった。



啓蟄や 彩香の舞に 耳澄ます2023年03月06日 16:06

 啓蟄や 彩香の舞いに 耳澄ます 


 いきなり拙句、いよいよ梅の木でメジロが遊び出した。チッチッ・・遠くでホーホーホケと新米ウグイスの声。花は散り香は微か。これからほぼ半年、自然界での共生に力がいる。

 畑と言うか田んぼと言うか、東南の角に梅の大木がある。樹齢は50年ぐらいだろうか。先代が植えたのだが、剪定をすることもなくほったらかしである。代替わりしても、剪定のコツが分からず、伸び伸びしている。梅の実は、裏表があるがそれなりに成る。

 南側が竹藪のような雑木林である。日当たりは良くない。三本植えたが、薮に近い一本は数年前に枯れた。梅は大木になると言うが、ここまできたら、どれほど大きくなるか、見てみようと思う。

 昔の写真はないが、スケッチがある。田んぼからの写生で、23年前である。只今、休眠中のホームページ( http://www.ne.jp/asahi/katano/yukio/ )から引っ張ってきた。


 田んぼには白菜などの野菜を植えていた。今は、ほぼ草畑である。

 大阪湾を縦断した2018年の台風21号で太い枝が折れ、中心部にぽっかりと穴ができた。今は別の枝がそこに伸びて外形はほとんど変わらなくなった。逞しいものだ。また、横に伸びた枝に葉が茂ると自重で地面に着きそうになる。支えに竹の杖を2ヶ所に入れてある。


 手前の白梅は南側に大木があるので日当たりが多少悪い。勢いも今一であるが、何とか頑張っている。木は極めて素直に育つものである。

 西隣にはキーウイとブルーベリーがある。梅がそこまできたら、強剪定するとしよう。一度剪定すれば、毎年やらないと樹形が乱れる。何でも生き物を育てるのは手がかかる。2年連続の大木伐採で身に染みているが、どんな生き物でも所有すれば管理の責任が問われる。

 自然農法の草畑には、ナタネと大根が野放し状態である。これらの野菜は、種ができても風に飛ばされることはない。収穫を気にしなければ放置できる。ホームセンターには珍しい草花の苗が沢山並んでいる。風散布型の植物は要注意である。未だにセイタカアワダチソウには苦労させられている。

 高齢の田舎もんは元気といえども、珍品に手を出してはならない。四季のある地では、植物は年単位で繁殖する。

 「今日を生き切る」を旨とする者には、屋内外、周りの生き物!? は馴染みのあるのが一番である。諸行無常、死ぬまで飽きることはない。



新春おめでとうございます2023年01月02日 21:52

 新春おめでとうございます


 今年も新春を迎えることができた。ありがたい。年末年始は何かと用事ができて、卑山には2日にお参りする。

 いつものことだが、暮れに前栽や薮の整備をする。飾りに使えそうなものをとっておいて活用する。今年は門松風に生けてみた。もちろん我流である。いやアートだから流儀はない。バックの絵は、先代が若い頃描いた薮カンゾウである。



 温暖化のせいか、暖かいように思う。11時ごろで室内7℃である。外も時々陽がさしてさほど寒くは無い。菜の花が一つ咲いていた。狂ったのかもしれない。この季節は虫がいないので受粉できない。咲き誇っているだけに、哀れである。


 虫が隠れてしまうと、冬眠しない鳥やイタチもエサ探しに大変である。イタチは庭の苔を剥がす。ミミズを探しているようだ。

 木ノ実を食べる鳥はまだ過ごし易いかもしれない。庭には既に虫が受粉を済ました、南天や千両の実が真っ赤に熟れている。暮れに墓に生けた南天の実はすっかりなくなっていた。嘴の尖ったヒヨドリである。なかなか図太い。


 梅のつぼみはまだ硬そうだが、咲きはじめるとメジロが集団でやってくる。小さいので、なかなか可愛い。この頃まで千両の実が残っていたら良いのだが。

 小さな世界は平和なように見えて、野生はそうでは無い。生まれた時から生存競争にさらされ死ぬまで止む時はない。生の根本は食なのでその連鎖に従って生きている。

 頂点にいる人類も自然界の一員なので例外では無い。野生と違うのは、煩悩が備わっていることである。

 どんな宗教も煩悩をおさえよと説いているが、戦争は無くならない。煩悩をおさえる方法はいろいろあると思うが、無にはできない。 おさえの脳トレに励むのみか。

 龍安寺の「つくばい」に刻まれた「吾唯足知」を思い出す。若い頃、本山妙心寺での研修で案内された。その頃は、うまく考えたなぐらいで、知足の意味は理解していない。この歳になってようやく、思い出しては、よく言ったものだとうなずく。

 分かりやすいゆえに、普段は何処かに行ってしまってる。年に一度思い出す程度ではどうにもならん。その内、思い出しもしなくなるんか、情けないなぁ・・・いや、忘れてしまえば気楽なもんよ・・・

 今年も走馬灯のように想いは回るようです・・・



薪置場の屋根はアート?2022年11月23日 08:36

 薪置場の屋根はアート?


 電気・ガスが値上げになった。自坊では竹や木の枝が結構出てくる。今年は、これらを出来るだけ利用することを考えた。太さにもよるが枝は1年ぐらいは乾燥させないと使えない。あちこちに簡単な台を作って積んであるのだが、雨がかかるので半分ぐらい腐ってしまう。これではもったいない。ということで、屋根付きの置き場を増設することにした。

 何で作るか。単管を組めば簡単だが、建築資材も値上がっている。柱なら昔小屋に凝っていた頃に溜め込んだ伐採木がある。手間はかかるが、卑山で採れた木を活かしてアート作品?をめざすか。

 場所は、書院の西壁側が空いている。錆びたリヤカーが鎮座している。モニュメントか何かにするつもりで置いてある。

 子供の頃は米を作っていたので、このリヤカーで村の精米店に運んだ。機械で米をついてもらうのである。思い出があるのでなかなか始末できない。とりあえずは下屋に運んだ。


 切妻屋根の妻側で犬走はあるが庇はない。簡単な屋根付きの棚にしよう。簡単に分解できてかつ、西風に耐えることが条件だ。


 とりあえず使えそうな材料を引っ張り出した。多少虫に喰われているがそれもアートだ。柱4本に軒桁?と桟木?を載せて、あとは筋交を入れて補強すれば良い。高さや広さを決めるため幕板用の板で仮組みをした。


 書院の窓から見て、屋根が目障りにならない様に傾斜と高さを調整した。波板は傾斜は少しで良いので助かる。


 寸法が決まれば、あとは簡単である。適当な柱を選んで仮支えしながら、立てれば良い。屋根材は透明のポリカ波板にした。早速コーナンへ、9尺3枚で¥6,831-、軽トラを借りて運んだ。

 書院の雨樋のメンテや、近くの梅の大木の剪定に梯子をかけることがある。屋根が邪魔になりそうだ。とりあえず、屋根近くの梅の枝は切っておこう。

 


 枝切断後


 問題は手前かどの雨樋のメンテである。2階建ぐらいの高さがあって、枯れ葉が時々つまる。梯子をかけるのに安全を見た場合、どうしてもポリカの屋根が邪魔になる。


 屋根は簡単に取り外せる様にしたい。



 桟木の固定


 台風時の強風は想定しない、諦める。波板の固定は壁際の1枚は釘で止め、他の2枚は長尺の竹を載せて針金で止めることにした。


 針金3ヶ所を解けば波板2枚は外せる。また、躯体もネジ釘だけを使っているので、ドライバーだけで分解できる。

 室内の窓から、屋根の状況を確認した。


 おおむね見通しが効くのでこれで良しとしよう。


 別の角度から。iPadで撮る。

 

 これで幅一軒半の薪置き場の屋根、完成。

 構想してひと月ちょっとかかった。作業日数は4、5日ぐらいで、すんなり行ったほうではないか。あとは棚を作るだけ。うーん早くも12月、ぼちぼち薪がいるぞ。


[  アージの自問自答 ]

 芸術性はどうや、上出来や。いや、間に合わせで作った感まるだしや。単管組みよりはましか。コストも最小や。

 ところで芸術とは、大辞林によると「特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動・・その作品・・建築・彫刻・・空間芸術、・・音楽・文学・・時間芸術、・・演劇・映画・・総合芸術に分けられる。」とある。ついでに民芸とは「・・・日常生活に使う実用的な工芸品・・・食器・家具など・・」

 近代芸術・現代芸術、プログレッシブアートもあるぞ。

 この屋根、いや雨避けの発想はSDG’s である。貴重なエネルギー原を無駄にしたくないとの想いがある。くわえて美がでればアートではないか。オーセンティックプログレでどうや。もう一捻りいるぞ。

 リヤカー持ってくるかな。寝ぼけた錆色ではあかん、目の覚めるまっ赤がええ。時間軸がほしいんや。

 好きな様にしなはれ、付きおうてられん・・・


PS.  最初の3枚と最後の写真はiPad、あとは最近購入したリコーWG-80で撮った。設定はオート。今のところそれしか使えない。作業中は活躍しました。