3回目点滴決定(入院前)2024年07月04日 19:53

 3回目点滴決定(入院前)


 2回の1週間入院で抗がん剤を点滴で投与した。2回の入院点滴を1セットとして抗がん剤の効果を確認している。CTで腎臓に転移したガンの大きさを調べた。結果はガンの大きさにあまり変化はない。この抗がん剤が効いているのか判断しかねるので、もう2回入院点滴で投与して確認することになった。

 予定では、2セット目が終わるのが8月の盆である。1回の点滴入院で1週間の入院を含めて3週間、副作用と苦闘することになる。主に口内炎、食欲不振、倦怠感が強い。経験しているので多少要領が良くなっても、苦痛に慣れることはない。

 先のことを考えずに、今日を生きねばと気を向けようとするが、じっとしているとついつい先のことで頭が一杯になる。

 気をまぎらわす方法は、何かに没頭することだが、体を動かすのが手っ取り早い。ただ、倦怠感が強い時はぐったり、ぼーっとしているしかないが。

 先日そんなさなか、会社員時代の先輩Sさんから電話があった。どうも元気がない。ぼーっとしていると言う。

 どうしたんですか? 娘が死んだ。 いつ? 昨日・・・2、3年前、娘さんはガンを患っていて、治療していると聞いていた。ある程度上手くいっていたそうだが・・・残念なことになった・・・今はしんどいでしょうが、時間が解決しますよ・・・タイミングが悪い、人ごととは思えない。

 次々に若くしてガンで亡くなった知人を思い出す。ここ数年の間だけでも、6名の知人は若くして亡くなった。

 例外かもしれないが、元会社の同じ職場の女性Mさんが夕方のTVに出ていた。彼女は2児の母親で子宮頸がんである。かなりの抗がん治療をやるも、余命宣告をされている。そんな中でダンス教室で元気に踊っている。闘病とダンスの二刀流で頑張っているのを紹介していた。  

 闘病スタイルは一様ではない。注目すべきは元気な姿である。こんなことをあれこれ思い出して、落ち込んでる場合ではない。Sさんに言った「時間が解決しますよ」を、自分にも言わねば。

 人間は環境に順応できるようになっている。例えば昔のトイレを思い出して欲しい。用足しに入った時は臭いが1分もたてば慣れる。この素晴らしい機能は、五感だけではない。心というか気持ちも時間とともにショックは薄らぐ。

 とにかく今を乗り切ろう。できることは、体を動かすこと。これまで、何度も頭をよぎっては消えてきたが・・・即今只今・・・難しくはない。ただ、無理せず自然体で、ひたすら今日の用事をするのだ。


立ち飲みの話題2024年07月14日 19:29

立ち飲みの話題

 会社員時代に大国町の立ち飲みによく通った。そこで先輩から多々教えてもらった。ふと思い出す。酒がまずくなる話題である。

 Mさん、年は一回り以上の先輩で、飲み始めに軽くつぶやかれた。教えは確か三つあった。一つ目は仕事の話、グチになりがち。二つ目は病気のこと。中高年者のもつ健康不安をあおる。三つ目は子供、孫の話。自慢になりがち。子供がいない人もいるし、いても問題を抱えている人もいる。

 現役時代はMさんのこの教えに納得して、これらの話題は避けてきた。だが、定年後の飲み会では、もっぱら体の故障など体調の話が多くなった。

 ガンになってから気がついた。飲み会でのたわいもない話も自分ごとと思えば、ガンも早く発見できたのではないか。

 思い起こせば、このガンが発覚する何年か前のことで、府OB のHさんとちょくちょく酒席を共にした。彼はガン闘病中にもかかわらず付き合ってくれた。当時の自分は大腸のポリープが気になっていたが、時々検査もしてたのでガンはヒトごとだった。

 また、別の酒席でO 市OB のIさんがビロウな話だがと言うことで、痔の苦労話をされた。この時は自身も痔で悩んでいた。Iさんが診てもらったクリニックKを紹介された。この情報で手術の決心ができた。手術は日帰りコースを選んだので保険はきかなかった。確か20万円ぐらいかかったかな。ドクターからはポリープはガンになっていないし、術後の肛門は一生ものですよといわれた。確かに今も不具合はない。

 症状が出たものの、痔はラッキーだった。これで消化器系の不具合は無くなり結果的に5年ほど検査を怠った。そこそこの年で健康過信は禁物、これが食道ガンの発見を遅らせてしまった。

 高齢者に限らないが、健康不安を内に抱えているより、話題にして、色んな体験談を知ることの大事さをつくづく実感した次第である。

 ガンに限らない、先ずは年とれば病気になるものと覚悟すること。そして手遅れにならないようになすべきは、こまめな健診、早期発見につきる。

 皆さん気をつけましょう。


          幸太郎 九拜 @病室



足るを知るの実践2024年07月23日 17:10

足るを知るの実践

 この前、ラジオで老子の「足るを知るとは諦めることか」と言う題名で放送があった。番組ではこの言葉の本来の意味を掘り下げると言う。深く考えなければ、それなりに分かりやすい内容であった。

 一通り聴いた後、やはり気になった。欲を抑えれば安らかに生きてゆけるのだから、こんなありがたい教えはない。問題は如何にして抑えるのかである。人は我欲を完全に無くして生きてゆけない。だから欲求のレベルを下げよというのである。

 欲を言いかえれば、仏教でいう煩悩である。これのコントロールは悟りである。簡単にできることではない。ここで諦めるのも悔しい。折角の機会なので、一歩前に進みたい。

 今は闘病中なので、欲はあまりない。欲が出てくれば元気な証拠だと思うが、残念ながらそうではない。欲は抑えられているので、ちょっとした悟りの体験かとも思ったが、欲を意識しているわけではないのでそうではない。これでは抑制の思考回路はできない。残念・・・うーん、そんなたやすいもんではない。

 欲が止めどなく出てくるのは、他と比べてしまう性が根源である。この性をなんとか鎮めることができれば、かなりの進歩ではないか。欲が出たらとなえよう「比べるな!」

 闘病中に欲が出で、足るを知るに挑戦できたら、回復の兆候である。嬉しいことだが、病気なので何でもOK とならないよう気をつけねば。さて、どうなることやら・・・