草畑のカボチャ再び ― 2022年10月12日 17:02
草畑のカボチャ再び
2年前は草畑に生ごみを埋めていた。カボチャの種が混ざっていて発芽した。草刈りの時にツルがあったので分かった。たった一つ小さい実がなった。2021年2月2日にブログで書いた通りである。
その後は生ごみを埋めると、カラスがほじくり返すのでやめた。そこで、今年は5ヶ所に種を埋めた。
発芽は順調だったのだが、今夏の干魃はきつかった。葉っぱが萎れていたので、あわてて水をやったものの、生き延びたのは3本である。
更に、ほったらかしでツルを伸ばし放題にしてたので、花をつけるのが遅くなった。実が大きくなるのは、気温次第で秋となっては期待できない。
写真は草刈りの途中で、グレーの囲い中の黄色の花がカボチャである。左側は伐採枝の山で、つる草が覆っていて、そこにカボチャのツルが進出しつつある。
手前左の小さい白い花は、ニラでほぼ種になっている。ニラも植えてはいるが、葉は食べられない。草に混じっている上に、水気が少ないので硬いのだ。歯がぐらついているので、葉脈が詰まって食べられたものではない。食べられるのは、白い花が開く前の蕾をつけた茎である。収穫はこの瞬間だけで、手で折れる分は柔らかいので食べられる。このように水の関係で、この草畑では葉物野菜はたくましく育ち、我が口には向かない。
10月はほぼ最後の草刈りになる。カボチャのツルのところは、実ができているかもしれないので慎重に刈った。草むらに一つ、結構大きめの実を見つけた。この日の発見はこれだけで、草刈りは終わりにした。

その後、ツル周りの草を手で刈った。
結局、大小6個できていた。




枝山の上にのびたツルは先端に実をつけていた。この時期に小さいのは熟す間がない。ツルが枯れるまで観察することにしよう。
草刈りのたびに思う。自然農法はよいが、そろそろ区画整理しよう。中途半端に作物があると、一気に機械で刈るわけにいかんので、手間がかかって仕方ない。いくら空調服を着ても、昨今の暑さはきつい。こちらの体力にも余裕がなくなってきた。
整理したいことは一杯ある。草畑だけではない、前栽の樹木、竹藪の間引き・・・やれやれ・・・
いちじくとカミキリ虫 ― 2022年09月20日 15:09
いちじくとカミキリ虫
いちじくが好きで、適当な空き地に植えている。かれこれ10年ぐらいになるが、実を食べたのはわずかしか無い。実が熟れれば黄金虫、幹はカミキリ虫にやられるのである。カミキリは白い斑点があるので、ゴマダラだと思う。
幹がやられた木はあきらめて、その木の剪定枝を挿し木で植え継いでいる。ただ、50センチぐらいの枝を直接地面に突き刺すだけである。夏の干ばつにあわなければ、大概根付く。背丈ぐらいに育ったら、カミキリ虫にやられる。この繰り返しだ。
さて、カミキリである。幹に卵を産みつけ、かえった幼虫は表皮の下を枝先に向かって食い進む。穴から木屑のようなのが出ていたら食われている。針金でほじくって始末するのだが、発見した時は手遅れになっていることが多い。
大体樹皮の下は樹液の通り道である大事な道管がある。だから、幹の周囲を一回り虫にやられたらその上は枯れる。
一昨年、根元が虫にやられたらその上が全部枯れるので、根元をまもるために2、30センチぐらいアルミ箔で覆った。流石に、そこは虫は避けた。ところがその部分は日が当たらないので、根を出す。だが地にまでは届かず、かえって木を弱らせるように思う。更に、田んぼに植えた木のアルミ箔はカラスに剥がされてしまった。
それではと、昨年は根元から1メーターぐらい白の不織布を幹に巻いた。一見、これはうまくいった。ところが、ひと夏で劣化してボロボロになっていた。
遠目には白いので安心していたが、よく見ると何か木屑のようなものが透けて見える。既に不織布はボロボロで手で簡単にちぎれる。結局、虫食いの発見を遅らせる結果となった。このような無残な姿になった木は3本ある。
不織布を剥がして針金でほじくり、殺虫剤をスプレーした。一周回っているところはないが、残っている樹皮は細いところもある。ウーン悔しい。
次の手として網戸用の網を巻こうと考えている。劣化に強いはず。いや、劣化の程度は時々チェックすれば良い。
隣でカマキリを見つけた。カマキリはカミキリ虫のような甲虫は食べないのかな。ダメか、じっとしているか、風に揺れる枝のように擬態して待ち伏せてる。ブロックの上では擬態は通じんぞ。しばらく経ったら居なくなった。
ブロック手前のトタン屋根に、玉虫の死骸が転がっていた。
翅は綺麗なままで、蟻にもやられずミイラになっていた。セミもよく地に転がっているが、蟻かイタチの餌になってすぐに消える。虫といえども、使命を終えた死骸は虚しげである。
日は暮れた、昔は若き自由人、秋の夜長の般若湯、これ如何に。
♪ 今はもう秋 誰もいない海 知らん顔して 人がゆきすぎても わたしは忘れない・・・つらくても 死にはしないと・・・♪
ここは、禅寺や。そんな歌は似合わんぞ。
それやったら、これでどうや、
「空澄んで、虫もあお向き、はや彼岸」
チーン チーン チーン! ちょっと暗いぞー。
お主、トンボ追いかけ、転んで天国と違うんか。
いや、帰ってきた酔っぱらいや。
♪ おらは死んじまっただ ・・・天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいし ねえちゃんはきれいだ ワー ・・・♪
ぼちぼち、締めの一句
「虫の音や 途絶えてさめる 夜明けかな」
お粗末でした チーン!
台風11号対策 ― 2022年09月11日 13:12
台風11号対策
竹藪と田んぼの境界に生えている樫の木とシュロが立ち枯れしている。原因は水切れだと思うが、枯れて2、3年になる。樫は丁度電気柵の際で、虫に食われた枝が、時々落ちて柵線に掛かりショートする。強い台風11号が来るとの予報で、この際伐採することにした。
根元を切って倒せば簡単なのだが、電気柵を直撃したらその修復も大変なので、短い長さで木の上の方から切ることにした。
写真の三脚を立てかけた木が樫で、右がシュロである。左手は急な崖で竹藪になっている。手前と向こうの田んぼとは、50センチぐらいの段差がある。
三脚の中足は地についていない。三脚の頭の端が枯れ木に掛かっているだけなので危ない。木は手で押しただけではびくともしないが、安全を見て三脚の頭と枯れ木をロープで結え、手前の竹2本にくくり付けた。
無事、枯れ木の上部を切った。
下の方を切るのに三脚が邪魔になるので、段差の下に据えた。
薪にちょうど良い、長さ70センチ弱に切って樫は始末した。
次はシュロである。
シュロの胴は、真っすぐで均質なので、狙った方向に倒しやすい。伐採の基本、追い口切りで素直に倒せる。
まず、受け口を作る。
次に追い口を少しずつ切れば良い。適当な所で手で押せば倒れる。
今回は少し見当がくるった。内部が腐ってた。
シュロの表皮は例の茶色い毛のようなもので、ポリフェノールがあるので腐らないが、内部にはそれが無いのである。受け口の切り込み寸法は丁度良かったが、チェーンソーで追い口として少し切っただけで、倒れてしまった。予定した方向だったので良かったが、予期していなかったのでヒヤッとした。
シュロは焚き木に向いていない。繊維質で水分が多く火つきが悪い。さらに、この幹は腐っていて強度がない。ただシュロの皮は腐りにくい。ということで適当な長さに切って、段差の足がかりとして電気柵に沿って敷いた。これで柵線点検時の上り下りがやりやすくなる。
枯れ木はそれぞれ腐り具合が違う。放っておけば、突然倒れて大変なことになる。上の写真の両サイドに転がる丸太は、数年前大音響とともに倒れた大木の残骸である。台風でもないのに、突然、何事かと思った。電気柵はぐちゃぐちゃになるし、木が大きいので始末に苦労した。
この木は邪魔になったので、人為的に、幹の周囲を剥いで枯した。大木が枯れると、どうなるのか全く考えていない。突然バリバリどっすんとはびっくりした。誰も怪我せずに済んだが、かなり危険なことをやったものだ。
ふと、思った。枯れ木も高齢者も、倒れるのは同じ仕組みではないか。キーワードはバランス、つりあい。
最初は上の方の枝先から朽ちていく。ところが、日当たりの加減で均一には朽ちない。根元も次第に弱っていく。重心のぶれに持ち堪えられなくなった時、ばたんきゅうとなる。
これを防ぐには芯がぶれないように、心身ともに全体老化を心がけることか。やっぱり、なかなか難しい。
自然界に手を入れる時は色々考えてはいるが、想定外は結構ある。今回のシュロも危なかった。こちらのセンサーも老化の一途である。
秋になれば涼しくなって外の仕事に精が出る。だが、一人で林業の真似事はやめよう。大体、頭でっかちで、気がはしる。
バランス第一、ここで、戒めの一句
「天高し、トンボ追いかけ、天国へ」
夏の終わりのハーモニー ― 2022年08月31日 14:10
夏の終わりのハーモニー
♫ 今日のささやきと 昨日の争う声が 二人だけの恋のハーモニー・・・真夏の夢 あこがれを いつまでも ずっと忘れずに ♫
ロマンチックな別れの歌を思い出した。夏の終わりはなぜか寂しい。草も昆虫も生き物全体が活発な活動を止める時期なのだ。すべてが終焉に向かうように感じる。
個人的に一番大きいのは、7月末に義母が95歳で亡くなったことである。大往生であるが、いくつであっても家族にとっては寂しいかぎりである。
あとは、コロナで静かにしていたのでさして書くほどでもないが、自然の揺らぎに翻弄された。
猛暑と干ばつの長かったこと。お盆は室内37度を記録した。寺にクーラーはない。もちろん夜も命懸けだ。
前栽もカラカラ、千両の葉は焼けてしおれた(右端)。
畑の柑橘類も葉を丸めている。何とか水やりが間に合ったが、危なかった。右がわはキンカンで、左の小さいのが「せとか」である。
さらに電気柵も夏バテか、白昼堂々狸になめられ、垣根でハチの一刺し(もう死語か)、夜中にムカデが頭を這い、おまけに頭をぶつけて、顔ピクピク、首ピリピリ。
♪夏がくれば思い出す・・・のはこれかいな。ロマンのかけらもないなあ。
なに言うてんねん、朝目覚めるだけで良しとせんかい。いやー、なかなかその境地は遠いぞ、そんなことあるかい、あっという間や。
長い干ばつ ― 2022年08月09日 19:05
長い干ばつ
河岸段丘の端にある自坊は水はけがよい。雨が降ってもすぐ抜ける。このため毎夏、猛暑と干ばつに悩まされる。水が無ければ、自然環境は壊れる。いわゆる砂漠化である。蚊が少なく、草の勢いも止まるので助かるのだが、良いことばかりではない。ブルーベリー、柿、栗などの果樹は実を落とす。
前栽のツツジの葉は茶色になり、千両は青い実をつけたまま、葉はしおれて枯れそうである。虫が少ないせいか、野鳥もあまり見かけなくなった。ただ、セミとカラスの鳴き声はうるさい。
この前、落としたスズメバチの巣は、跡形もなくなっていた。近くにハチもいない。巣はイタチか何かが蜂の子を食べたのかもしれない。続きの垣根にハチの巣を作られたらかなわないので、竹の棒で叩いてハチが飛び出すかチェックしたが出てこなかった。
一安心と思いきや、何かがゴソゴソ動いた。垣根に頭を突っ込んで、お尻丸見えでジッとしている。丸まっていたので、結構太っているように見えた。狸寝入りとはこのことか。この間抜けさは、アライグマではなく狸に違いない。騙したつもりになっている。狸はアライグマにやられて絶滅したと思っていたが、現れたので少し安心した。発見したのは午後2時か3時ごろだ。そう言えば朝方、誰もいないはずの、小屋の横あたりでガサガサ音がした。
ひょっとして、電気柵を突破して来たのか。早速電気柵の漏電チェックに走った。草やツル、枯れた小枝が柵線に絡んでショートして電圧が落ちる。柵に沿って全線チェックした。念のためと思って電圧を測った。ネオン管式の簡易テスターだが、2,000ボルトぐらいしか出ない。これでは、狸は感知しないかもしれない。電源の出力を上げたが、電圧は上がらない。どうしたものか。
落ち着いて、考えてみた。原因は干ばつにたどり着く。気候変動で食物連鎖が途切れ、貧困が起こり争いが起こる。規模は小さいものの、起こっていることは同じである。
まず、夜行性の狸が昼に出てくる。干ばつでエサが少なく終日探している。夜はアライグマにやられているのかもしれない。乾燥しているので、地表面は絶縁シートで覆われた状態になっている。これでは電柵線に触れてもビリビリしない。
動物が侵入しても境内には大した餌はない。だが、電柵が無力であることを、動物が学習してしまうと厄介である。タヌキなら放っておくが、アライグマは木に登るので被害が大きい。スチールの捕獲檻で捕まえるかな。昔この檻に近所の猫がかかった。この時は一夜だったが、留守の間にかかったら死んでしまう。寺で殺生はいかん。
さて、どうする。今のところ出来ることは、電気柵の出力をMaxにあげて、雨を待つこと。もちろん、毎日気象協会と気象庁の天気予報をチェックする。「晴れ時々くもり、ところにより雷雨」が多い。これは何でもありの予報で、少しは期待するのだが、がっかりする日々が続いている。
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