読書: 禅 @病院 ― 2024年02月21日 13:23
読書: 禅 @病院
ガンの治療もここまできたら、不安感は薄らいだ。再入院で、まとまった時間が取れることになった。この辺りで、心の栄養補給に禅はどうだろうか。
家内に積読してある関係書を持ってきてもらった。「禅による生活」鈴木大拙と、「奇人問答」則竹秀南である。奇人の方は妙心寺塔頭の一つ、霊雲本庵の書院落慶記念でいただいた本である。自坊はこの院の派に族している。
読み始めてわかった。甘かった。病中だからかも知れないが、なかなか読み進めない。数行読むのに、やけに時間がかかる。集中度を上げて何度も読み返さねばならない。というのは、しょっちゅう仏教や哲学用語がでてくるのだ。おまけに例の禅問答だ。
普通の合理的な理解は通じない。それを超えた宇宙が禅であるというイメージである。何度も問答することで、頭を無次元の宇宙にはせよと迫るのだ。それと普段の生活との関わりはどうなんやろ。実感がわいてこない。
何くそと思って挑んでみたが、続かない。これでは心身ともに消化不良でまた下痢しそうだ。
この手の本は頭の中がスッキリしている時に、何度も読み返して、ある時ハッとするのかな。
これまでのところ、禅、悟りに関連してぼんやり、次のような理解である。
禅問答は、お経、念仏、聖書などを何度も唱えたりするのと、共通するように思える。成仏への歩みである。肝心なのは無心で唱えることである。その繰り返しで、やっと仏というか、悟りに近づけるのではなかろうか。無心の境地は不連続な心のありようで、そのシフトは容易ではない。
えーい! 今回はこれまで。迷いが高ずるまで、本は積読。
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