身体は弱っても腹は立つ ― 2025年12月01日 16:52
身体は弱っても腹は立つ
抗がん剤パクリタキセルを点滴投与しはじめて2ヶ月半になった。副作用がきつく、週に一回のペースにはとても身体がもたないので休みながらである。これまでの療法とはレベルが違う。これが抗がん剤の副作用ですよと看護師さんは言う。個人差はあるとはいえこの薬はきついらしい。
きつい副作用に耐えても効くのは2、3割らしいのでそれを考えると、一気に精神的にきつくなる。心身ともにガタガタで何ともしんどい日々である。身体は正直で副作用がきつい間はいくら気力をふりしぼっても何とも動けないが、点滴後10日ぐらいたつと少し楽になって倦怠感が引いていくのを実感できる。
禅は今を生き切れとおしえるがその実現は病気ではとてもできないと思う。どうしても先のことをあれこれ考えてしまうのである。
全てを自然にまかせる。脳は休めて体の欲するままに食べて寝るに徹するのが良いのだが。そんなことを意識せずともそうなっているようにも思うが、時々脳がはたらきあせってしまうのである。
こんな状況でできることは、只々、断念して身の回りのものをすてる。物理的に消すのが一番であろう。とりあえずは身体が動くときに、棚の端から始末しよう。
早速、本の買取をネットで調べて家まで来てもらった。プリフラといところである。女性一人でやってきて、業者に売れるか査定させるという。玄関に山積んだ書籍の背を鷲つかみにしてスマホで写真を撮り出した。査定に10数分かかるという。その間チラシを出して、ネクタイピンとか時計、カメラはないかという。少しあったのでそれを出してみせた。そのうち査定の返事が来て、書籍は古いので全て買い取れないし、引き取り処分もできないという。なんかおかしな感じがした。手ぶらで来て写真を撮って査定のふりをする。最初から本なんか買い取るつもりはない。
久しぶりに腹が立った。身体は弱っててもはらは立つものだ。全てキャンセルして帰ってもらった。あとで考えてみたらほんの買取を装ってジュエリーを探しに来たのだと思う。しんどい目して本を玄関に運んだのに、悔しい。
このままでは、玄関は本の山である。棚に戻す元気はない。一度頼んだことのあるブックオフを思い出した。本は段ボール3箱に詰めた。重たいので箱は補強した。とりあえずは無事引き取ってもらった。一安心。
やれやれである。ネットにはうまい話が溢れている。困っているときは簡単に騙される。高く買い取ってもらうつもりはない。商売人の仕掛けに引っかかる自分が情けない。
今週久しぶりの点滴である。またしんどくなる。これまた鬱陶しい。年末なのにいいことないねー。
幸太郎 九拜
おもちゃは買ったが ― 2025年08月28日 08:42
おもちゃは買ったが
机上で遊ぶのにおもちゃを買った。iPadAirである。設定を済ませて触ってみてはいるが、なかなか新しい機能を使うまでには至っていない。
これまで使っていたのと変わりがないのであるが、使いこなせないのがくやしい。今の自分の腕では新機能は使いこなせないので、勉強しなければならない。気力がいるのである。
今のところ古いので十分用が済んでいるので、その気にならない。それに買うまでわからなかったが、アップルがPRしている使い方は隠居した高齢者には必要がない。ペンシルの機能も追加されているが、絵描きでもないのでそこまで必要ないように思う。
現在の自分のライフスタイルは世間のDXの動きにやっとこさついていっている感じである。スマホにやっと慣れてきたところで、最新のタブレットを連動させるのはまだ先の話で、いつになることか。
こんなことで、抗がんと同様におもちゃで遊ぶのも苦戦している。今回のことで分かったことは、楽しく遊ぶのは道具のあるなしではなく心の如何によることである。そんなことは子供の頃から身についているはずなのに、歳とって頭の中が理屈でいっぱいになり遊び心が消えかけている。
これが老化なのかもしれない。こちこちの親父の石頭と言われるが、いろいろな場面で出てきている気がする。気をつけないといかんぞ。
楽しく遊ぶには体を動かすに尽きる。頭を動かす遊びは下手したらストレスをためてしまう。
自然体で無心に遊べなくなったのがどうもいかん。猛暑がおさまったらせいぜい外に出て身体を動かそう。さすればいっときでも童心にかえれるかもしれない。
幸太郎 九拜
英 水道民営化の破綻 ― 2025年08月10日 17:04
英 水道民営化の破綻
日経電子版に英国の民営化政策が転機を迎えているとの記事があった。民営化で騒いだのは何年前のことだろうか。水道は2018年に水道法を改正して民営化を可能にした。
8月8日付日経電子版より

水道畑で働いたので、えらいこっちゃなあと思っていた。当時を思い出して2022年から3回ブログに書いた。
https://aaji.asablo.jp/blog/2023/06/30/9598359
当時から代替手段が容易でない公共サービスの民営化には疑問を抱いていた。理由は単純である。新製品やサービスを出し続ける組織のない地域独占営利企業のミッションは何かわからない。
案の定、民営化の成功モデルであったテムズウオーターも国有化に舵を切ったそうである。強力な監視機関も設立してたのに機能しなかったのだろうか。
この記事を読んでやっぱりなあと思う。この歳になって更に突っ込む元気はない。水道では宮城型民営化はうまくいってるのだろうか。電気、ガスはどうか。郵便の値上げや不祥事、心配し出したらきりがない。
新自由主義を唱えていた経済学者は政治行政をそそのかして稼ぎまくった。今の破綻はガバナンスに問題があるというのだろうか。
大きなうねりを持って地球が変動している。今までに経験のない暑さに豪雨、危機管理にもっと知恵を絞らねばとほそぼそと思う。
暑くて元気が出ない。
高齢者、ぼやきができなくなったらおしまいか?
やれやれ・・・
幸太郎 九拜
猫背になった ― 2025年03月08日 17:38
猫背になった
最近、ゆっくり散歩できるようになってきた。散歩には帽子は欠かせない。冬の間はキャップ型の帽子を被っていたが、久しぶりにハット型を被った。するとどうだ、頭を動かすたびにハットのつばがコートの襟につっかえて帽子が持ち上がる。
下を向いているときは引っかからないが、前を向くと引っかかる。あごを引いて背筋をピンとすれば引っかからない。猫背になっているようだ。
そういえば、この前歯医者の診察椅子で背もたれが倒されたとき背中がやけに痛かった。散髪で顔をそってもらうときも背中が痛んだ。寝るときはあお向けではなく横を向いて背中は丸めている。こんなことからして、この頃は背中がまっすぐになっていることはほとんどないようだ。
家では机に向かって時間を過ごす。椅子の背もたれにもたれかかっていて、極めて行儀の悪い格好で座っている。ときどき足は机の上である。とくに食後は動けないので、この格好が楽でよい。どうも食道を取っているので背中を丸めて腹をかばう癖がついたようだ。
高齢になれば背ぼね周りの軟骨や筋肉がやせるので背中は曲がってくるらしい。病気による痩せと筋力の低下、それに姿勢の悪さが猫背に追いうちをかけ、身長は2センチぐらい低くなった。
元々首が短い上に背中が丸くなれば首はなくなる。うーんこれではいかん。歩くときは猫背になれば気がつくようにハットを被り、あごを引いて肩を開いて正面を向いて少し遠くをみよう。意識せずボーッと歩いてたら猫背になっている。
抗がん剤の副作用が薄らぎ、身体が動くようになったら、あれーっおかしいと気づくことが色々出てくる。老化の進展なのかなあ・・・ やれやれ
幸太郎 九拜
ショック: 抗ガン治療はむだ ― 2025年02月06日 13:26
ショック: 抗ガン治療はむだ
先のブログで近藤誠先生の主張を紹介した。ガンに対して常識とは違う主張、いや今のガン治療を否定する考え方である。気になったので、著書「患者よ、がんと闘うな」を読んだ。
いやーまいった。これまでうけてきた手術から抗がん療法にいたるまで、延命という意味でなんら有効ではなく、むしろ副作用で寿命を縮めるというのである。主張は論理的なので技術屋にはかなり説得力がある。
確かに、食道をとった後、抗ガン剤の副作用(重度の大腸炎、下垂足、貧血、など)で体調が悪く今だに体力は落ちたままである。現在の世界標準の治療らしいが、食道切除と副作用による健康被害、生活の質の低下、治療費を考えると大損である。
今さらどうにもならないが、手術以外の方法があるのか少し調べてみようと思う。少なくとも今やっているキイトルーダは副作用として皮膚炎がきつく、腹の調子も悪いので点滴はやめるつもりだ。
では、腎臓に転移しているガンはどうなるのか。近藤先生によれば抗ガン療法は効かないというし、確かにこれまでキイトルーダを4クール、体力の限界まで試して明らかな効果は出ていないし、ガンが消えることはないと断言している。なので、副作用を我慢して続けるメリットはなく、費用はかかるし、取り返しのつかない健康被害の可能性もある。
もう少し早く、少なくともオプジーボを始める前にこの先生のがん論と出会えたらよかったのにと思う。開発者の本庶先生のノーベル賞などで良い薬だと信じ込んだのが間違いだった。
医療界、少なくともガン治療に関しては、数少ない治験データを統計論を使って分析しているのである。少し統計論をかじったものとしては、密室での少数データの統計解析の結果はとても信用できない。ガン新薬の効果の真相はわからないが、こんな具合ならこわい話である。
ドクターを信頼すべきだろうが聖人ではない。ほとんどは薬屋や医療機材屋との関係、自分の出世や生活を大事にしている普通の人であることを頭に入れておかねばならない。
近藤先生いわく、治療方法の選択は自分で情報を集めてよく考えること。抗ガン治療はほとんどのガン(90%)には効かず、延命策にはならない。むしろ合併症などで命を縮める可能性の方が高い。
ガンは老化現象で自然に治ることはない。ガンと闘うことで死ぬまで不自由な生活を強いられる。治療に多くを望まず、治らないことを素直に認めて、闘病から解放され自由に生きることが大切だ。ガンによる症状が出たら治療してもらうと割り切れば楽にすごせる。だれでも死ぬ間際にはなんらかの具合が悪くなるのだから。
繰り返しになるが、ガンは老化であって自然現象である。薬で延命できたとしてもたかがしれてる。実現可能性の低い延命への執着を捨てることができれば、今の生活を納得がいく充実したものにできる。
延命への執着はすぐには捨てられないが、抗ガン治療をやめ、リハビリに力を入れよう。一年半ものあいだ身体をボコボコにたたいてきた。しかも食道がないので、かなりの時間はかかるだろうが、体力が回復すれば楽しみも増えよう。
身体も気力も年相応の状態を目指すものの、年相応なんて判断するのは自分なのだ。適当なところでこんなもんだと思うことにしよう。でないと思うように調子が出ないことでストレスを溜めてしまう。自分のことなのにやっかいだ。
近藤のガン論との突然の出会い、ガン治療への不信感、治療を医者まかせにしたことへの後悔 ・・・ あー情けなや ・・・ しばらく坐ってないなあ
幸太郎 九拜

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