闘病第2ステージの始まり2025年01月24日 17:58

 闘病第2ステージの始まり


 年が明けてはや1月も末になった。今年から治療法が大きく変わる。大きな違いはこれまではドクターと薬を頼りに治療してきた。手術を含めて1年半、ほぼ他人まかせである。薬の副作用で体力的に限界となり、一旦中断して回復をはかることになった。

 今後は体力をつけて自己免疫力を増強する治療になる。治療の基本は自己管理になる。これまで意識先行型で生きてきたので、身体がついてこれないのではと心配である。両者のバランスを取らねばならない。あまり神経質にならずに、まずは注意深く身体を観察することかなと思っている。無理がかかると必ず何らかの信号を出すらしい。

 心構えはそれとして、具体的なことは生きることそのものである。すなわち、よく食べて身体を動かすことである。ただ、今の体調ではこの食が難しい。度重なる入院と副作用で味覚、臭覚が変化してしまって、人にうまくつたえられない。対策として、皿の上で自分で適当に味付けできるメニューをリクエストしている。

 さて、1月15日にキイトルーダ単剤を外来で点滴投与した。心配した副作用は以前の薬のものに比較して軽いような気がする。新たなことは手と足に皮膚炎がでてきて痒くて難儀していることぐらいである。

 同じ免疫療法のオプジーボは3回目で大腸炎になって入院した。ステロイドの投与で治したが、こうなるとやっかいである。今のところ、お腹の調子も良く、食欲はあるので助かっているが、心配である。3ヶ月ぐらいは要注意かな。腹に気を配ろう。入院はしたくない。

 こんな調子で年明けからゆっくりマイペースですごしてます。このまま前の薬の副作用が消え、新たにひどいのが出ないことを願って、今年もガンと向き合います。

            では、また 幸太郎 九拜




ガンが病気とは限らない2025年01月29日 20:01

 ガンが病気とは限らない

 先日、孟司と誠の「健康生活委員会」という本を読んだ。闘病中なので健康に興味を持っている。適当に検索して、図書館でかりてきた。著者は二人、養老孟司の他に近藤誠という医者で、彼は1995年刊行の「患者よ、がんと闘うな」で抗がん剤の副作用問題を初めて指摘したそうだ。

 二人とも引退した医者で、病気、健康、診断、保険など色々な医療に関する問題を忌憚なく対談形式で述べている。ほとんど常識とは違うことを指摘する内容である。

 「がんが病気とは限らない」という話では、末期がんで痛い、苦しい状態は病気と言っていい。検査で進行がんが見つかっても、放っておいても自己治癒の可能性はある。転移したがんでも、自然に治癒したという報告論文はけっこう多い。

 こんな調子で色々いわれると、それほど抗がん療法が効かなかったわが身としては迷いが出てくる。二人は、もっと「自然治癒力」に期待すべきで、薬は必ず副作用があり身体の健康を害するという考え方である。今やっている免疫療法はこの考え方と基本的には違わないので継続しようと思うが、副作用がきつくなれば即やめようと思っている。

 ガンは不治の病と思い込んできたが、できはじめはおできみたいなもの。老化現象で、身体に無理がかかるとがん細胞が増殖して病になるようである。だからおできの段階で薬はいらず、無理を取り除くのが良いそうだ。実際なってみてなるほどと思うのである。

 今年から治療は薬を減らして、体力の回復を図る方向になっている。著者らの健康に対する考えと一致するので、これでいいのかなとも思うものの、医者ではないので自信はない。

 健康の秘訣は「今を楽しめ」で、「而今(じこん): 今を生きよ」とおしえる禅につうじる。養老は、一番健康に効くのは、社会的にはインフラを整備して衛生環境を良くすること、個人はバランスよく食べて、良い栄養状態を維持することと言っている。

 また、自然のものをよく見て、自分も自然の一部であることに気づくこと。身体は仮の宿で、意識で「俺がどうにかする」と考えないこと。

 人工の社会システムの中で生活せざるをえない現在は、意識しないと自然界を実感するのは難しい。子供のころの経験があるので自然環境への憧れが強くなっている気がする。歳のせいかもしれないが・・・

 日本国は「楽しい日本をめざす」とのこと。めざすなんて、先のことはええ、なぜ、今を楽しめと言えないか、おまけに、地方創生で自然はどこへやら・・・日本は薬漬けの自称病人だらけ、楽しいどころではないぞ・・・政治家は仕方ないのかなあ・・・

 もうやめよう、情報に振り回されてるぞ、頭がぐるぐるしてきた・・・やれやれ

           幸太郎 九拜