大阪中之島美術館へ ― 2022年03月03日 12:30
大阪中之島美術館へ
この2月2日、大阪に美術館がに開館した。行きたかったが、コロナもあって様子を見ていた。27日のNHKの日曜美術館でやっていて、刺激を受けてしまった。午前のジムは手短にして中之島に行ってきた。
入場の仕組みが新しい。チケットはネットで予約、購入できる。せっかくなので新しい方法でチャレンジした。
美術館の入り口では大きなネコが迎えてくれた。
QRコードのチケットに少し不安であったが、スマホをかざして難なく入場できた。
写真は4階展示室入り口
コレクション展なので、内容はバラエティに富んでいる。悪く言えばバラバラな印象である。コレクションの背景が分からないと面白く無いかもしれない。惹かれたのは、佐伯祐三とモディリアー二で他は家具なんかが面白かった。
いつもそうだが絵のサインを探すことにしている。場所や文字が色々あって面白い。佐伯のサインは見つけにくい。晩年の1928年の絵(煉瓦焼と郵便配達夫)には無かった。
5階の展示室を出ると大きなロボットが見えた。
大体2時間半でゆっくり見れた。
途中の西向きの窓から工事の様子が見えた。奥にはリーガロイヤルホテルが見える。
4月にモディリアーニ、7月には岡本太郎がある。また、参加することにしよう。
磯ヒヨドリ現れる ― 2022年03月07日 17:22
磯ヒヨドリ現れる
今年になって写真のような、頭、背中あたりが青く腹が赤茶の鳥をよく見かける。
大きさはヒヨドリぐらいである。調べてみると磯ヒヨドリのようだ。この鳥を見たのは生まれて初めてである。いつの間に棲み着いたのか知らないが、泉州も磯が少なくなってきているので、内陸部に移動してきたのかもしれない。畑に出て作業しているといつの間にか、そばに来ている。人が草むらをかき回して、虫が飛び出すのを狙っているのだ。クチバシが黄色のムクドリは草刈機の音で寄ってくるし、竹藪のそばで作業するとモズが時々来る。
家のそばまで寄ってくるのはヒヨドリとこの磯ヒヨドリだ。縄張り争いはないのだろうか。大きさは同じぐらいなので、棲み分けるのかな。今は梅が満開で、メジロが集団でやってくる。ヒヨドリが行くとメジロは逃げる。空は広いし力関係ははっきりしているので喧嘩はない。地べたではそうはいかない。狸とアライグマでは狸は息絶える。地上は中々難しい。
最近のニュースを見ていると気が滅入る。作業中もラジオを聞いているので、耳に入る。うっとおしい毎日であるが、自然界は春を迎えている。日に日に地の緑が増す。もう既に作務に追われぎみで、この草木の勢いは初夏にピークとなって秋には落ち着く。それが分かっているから付き合えるが、今の人間界は煩悩の塊が暴走しているようで、鎮まる気配がない。夜になると無力感に苛まれる日々である。
酒二杯飲んで・・・、ぼんやりしながらそろそろ彼岸か・・・
樹木希林 平気に生きる ― 2022年03月24日 20:24
樹木希林 平気に生きる
樹木さんの言葉が宗門発行の月刊冊子に載っていた。自分より七つ年上のお姉さんである。彼女の人生観に共感するところがあった。それは「どんなモノでも使い始めたらできる限り活かしきって、最後まで使い切って『始末』する」ことを心がけていたことである。
『始末』
たとえば、メタボ時代の服は、みんな着ることができる。ただ少しオーバーサイズになるだけである。さらに、毎日が普段着で過ごせて、ホームセンターを散歩するにしたって人目は気にならない。似合ってるはずと、高齢者の思い込みにブレはない。
とくに、洗濯回数が少ない冬物は傷まない。買い換えたいがダメにならないので買う必要がない。いやコート類への執着が強いのだ。というのは、高校の時に出会ったゴーゴリーの「外套」に影響を受けた。ロシアほど寒くはないのに、貧乏人は最も大事にしなければならない服となってしまった。たまたま、このパパスのジャンパーは20年以上現役である。少々高かったが、縫製はしっかりしている優れものだ。ただ、肩のあたりが色褪せてきた。自分と同様に衰えとほころびが見えてきて、よけいに愛着が深まっている。
樹木さんは必要以上にモノを持たない主義を徹底していたそうだ。自分も無駄にモノは買わない方だが、隠居生活になると途端に外出の機会が減るので、衣装ケースで眠ったままになる。
このような退役衣服は作務に引っ張り出すものの、使い切って『始末』するのには時間が足りない。きつい作務ができなくなっているので、なかなか擦り切れない。それに夏場の草刈りは、最近主流になっている速乾下着と空調服でないと、こちらが熱中症でお陀仏になる。結局、世の常で老兵の出番は少ない。
『知足』
彼女の思いの底には、仏の教える『知足』が流れている。「自分の身の丈を知って、それを受け入れれば、人と比べて驕ることも卑下することもなくなる」また、『四苦』について、「老いてゆく自分の変化を楽しみ、なんでも面白がって過ごせば、いい歳のとり方ができる」 モノだけではなく自身の冥利も大切にしてたそうだ。61才で癌の告知を受けて、別のものだと思っていた、生と死が一体だと気づいたと言う。
この死生観は、なかなか持てるものでない。自己も含めてモノの本質と向き合い、吾唯知足が日常になって、そのうち・・正岡子規の「悟りといふ事は如何なる場合にも平気に生きて居る事であった」・・・いずれも『知足』のベースがあって、不治の病がこの境地に導いたのではないか。
自分もいろいろ持病や痛みはあるが、今のところ、苦悩を伴うほどではない。老いは確実にすすむ。いい歳を重ねたい。『知足』が自然体で心に常住することを願って・・・今宵は、♪・♪はやめて、閑かに般若湯を少し頂いて『知足』の実践や!







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