6回目の点滴入院:病と共に豊かに生きる ― 2024年10月08日 10:55
6回目の点滴入院:病と共に豊かに生きる
今週中に6回目の抗がん剤の点滴投与のため入院する予定である。この薬の投与は6回が限界になっている。これで効果をみて次の治療法を検討することになる。
とにかく一区切りつくので、もうひと踏ん張りせねばと思うが、副作用のことがちらつくので目先はさすがにうっとうしい。
ガンになっていろいろ考えさせられた。俯瞰すればまんざらでもないのではないかと思う。人はいずれ死ぬ。歳とるにしたがい心身は老化する。病気にもなりやすい。そして経験のない突然の不具合で苦悩がはじまる。脳はこんなはずではないと苦でいっぱいになる。
お釈迦さんは苦から救われる方法を教えている。一言でいえば真の自分、仏性に気づけということだと思う。言いかえれば悟りであって受け身ではできない。頭でいくら考えてもできることではない。神仏を信じるだけでは救われない。悟りたいとの目的や執着をもって修行してもそれは叶わない。只々身体を動かして作務を無心でやるしかない。お祈りも身体がおぼえるまでやるのである。時間がかかる。
ガンになってこんなことに気づくことができた。そして今少しずつ実践している。毎日ではないが、早朝30分ほど坐る、次に読経、スクワットである。実は9時に寝て、夜中1時ぐらいにトイレに行く。その後熟睡できない。うつろうつろして時計を見れば4時である。え〜いとばかりに起きるのである。
この朝課のためにパソコンの前に仏壇にもなる花台を置いた。仏は円空仏の摸刻をネットで探して買った。小さな龍頭観世音菩薩である。以前から円空仏に興味があって展覧会にも行ったが、自分で彫ってやろうと思っていたので、関連するグッズは何も持っていなかった。いざ彫るとなるとかなり難しい。そこでやはりプロが彫ったものをもとめた次第である。闘病が一段落したらこの観音さんを手本に彫ってみようと思う。
=== パソコンの前のミニ仏壇、仏は龍頭観世音菩薩(14cm)。なお、自坊の本尊は聖観世音菩薩。===
=== 普段は花台にする。観音さんも鎮座するので、生花風野草のアートを飾るつもり。この花は、外からの刺激で脳神経がカオスの状態になっている様子をあらわした。刺激はそのうち脳内の神経網である秩序をつくる。それがいわゆる心だという。
中央はモネの睡蓮の池に架かる橋のマグネット(東京時代に職場のT嬢からいただいた)。左端の人形は台南みやげ。背景がさみしいので貼り付けてみた。
この飾りは一見ばらばらのようだが物語もこじつけられる。天使が睡蓮池の橋をわたって浄土からお出ましの観世音菩薩と合流するところで、曼荼羅の一部となっているとの解釈はどうだろう。モネの蓮池があったらもっとリアルだが、このチグハグさというかやっつけ仕事、なんとも言えんな。なにも決まりはない。これが現実なのだ。===
食道がないので、食後は1時間ぐらい上半身を起こしておかねばならない。いつも机の上に足をのせて休んでいる。だから観音菩薩に足向けるわけにいかんので、菩薩は別の場所に鎮座してもらっている。
こんなことに夢中になっているときに苦はない。絵を描いているのと同じで、プロセスが楽しい。こんなことで少しずつ心が調う感じがする。芸術家や作家のように、お迎えが来る間際まで没頭できることがあるのが一番だと思う。そのときは無の境地で苦はないのだから。
闘病がきっかけで豊かな老後に向かう道に一歩踏み出すことができた。このように考えれば病に教えられながら、共に生きて行けるのではないだろうか。
幸太郎 九拜
コメント
_ やっちー ― 2024年10月16日 10:42
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