CT撮影の結果 ― 2025年03月21日 20:16
CT撮影の結果
抗ガン治療を中断して2ヶ月たった。CT撮影でガンの状況に変化はみられなかった。体調は回復してきている。わずかに副作用が残っているが、消えるのも時間の問題だと思われる。
全体的に良い方向に進んでいる。ただ老化というブレーキがかかっているように思う。年齢と生きる力の関係を図に描けば次のようである。(図に無理やりウクライナ問題をかさねた。想像たくましく解釈して下さい。諸悪の根源はガン、ではなぜガンになったのか?・・ここでは深く考えない、かなり無理があります)
手術で体力は急落し、抗ガン治療で波打って少しずつ落ちた。治療を中断して回復傾向になっている。
予測になるが、手術・抗ガン治療による体力の低下分は取り戻せないだろう。抗ガン治療は体力の回復を遅らせ更に元の体力に戻らないように思う。仮にガンを放置したら今の状態より悪くなったかもしれない。真実は誰にもわからない。
先の近藤先生はこれを治療はムダで良質な生活時間を短くするだけだと断じている。このように考えると悔しい。やはり治療が功を奏し更なる体力の低下を防いだと考えたほうが気分は良い。
病のことは分からないことばかり。すんだことを悔やみながら死にたくない。過ぎたことはその時のベストの選択だったと考えよう。
年のせいか、病気になったからか、時々やり残していることで頭がいっぱいになる。寝床でこの状態になったら最悪である。芋づるしきにいろんなことがでてくる。一時間ぐらいはあっという間である。
思い浮かぶのは、やはり体が弱ってきたらどうするかということが多い。自坊の作務や建物の老朽化への対策などDIY で対処してきたことである。プロに頼めば良いのだが、体力が回復すれば少しは自分でできると思うので始末にわるい。
今のところこの程度のことで、大した問題ではないのだが心中はスッキリしない。それに終活も考えないかんころかと思うとうっとうしいかぎりだ。
年寄りには、夢とロマンに胸おどらせるのは無理なんかなあ。調子の良いときに、希望あふれる楽しい夢を見たいもんだ。こんなこと思って・・・おやすみなさい。
幸太郎 九拜
PS
抗ガン治療を中断し、経過観察になった。外来診察は3ヶ月毎である。
先生に問われた。もしガンにより重篤になったとき、心臓マッサージなどの延命処置を希望しますか?
・・・このとき、会社時代の上司であったIWAさんのことを思った。何年間か忘れたが、長い間生命維持装置に繋がれてベッドに寝ていた。声をかけても反応はない・・・
いいえ、要りませんと応えた。もちろんワイフも同席していた。さすが先生はプロである。あらゆる可能性を想定して手を打っておく。家族の前で本人の意思を確認しておくのは大事なのだ。
猫背になった ― 2025年03月08日 17:38
猫背になった
最近、ゆっくり散歩できるようになってきた。散歩には帽子は欠かせない。冬の間はキャップ型の帽子を被っていたが、久しぶりにハット型を被った。するとどうだ、頭を動かすたびにハットのつばがコートの襟につっかえて帽子が持ち上がる。
下を向いているときは引っかからないが、前を向くと引っかかる。あごを引いて背筋をピンとすれば引っかからない。猫背になっているようだ。
そういえば、この前歯医者の診察椅子で背もたれが倒されたとき背中がやけに痛かった。散髪で顔をそってもらうときも背中が痛んだ。寝るときはあお向けではなく横を向いて背中は丸めている。こんなことからして、この頃は背中がまっすぐになっていることはほとんどないようだ。
家では机に向かって時間を過ごす。椅子の背もたれにもたれかかっていて、極めて行儀の悪い格好で座っている。ときどき足は机の上である。とくに食後は動けないので、この格好が楽でよい。どうも食道を取っているので背中を丸めて腹をかばう癖がついたようだ。
高齢になれば背ぼね周りの軟骨や筋肉がやせるので背中は曲がってくるらしい。病気による痩せと筋力の低下、それに姿勢の悪さが猫背に追いうちをかけ、身長は2センチぐらい低くなった。
元々首が短い上に背中が丸くなれば首はなくなる。うーんこれではいかん。歩くときは猫背になれば気がつくようにハットを被り、あごを引いて肩を開いて正面を向いて少し遠くをみよう。意識せずボーッと歩いてたら猫背になっている。
抗がん剤の副作用が薄らぎ、身体が動くようになったら、あれーっおかしいと気づくことが色々出てくる。老化の進展なのかなあ・・・ やれやれ
幸太郎 九拜
抗ガン治療からの解放 ― 2025年02月23日 12:41
抗ガン治療からの解放
先日外来の診察を終えた。その日は2回目のキイトルーダ単剤の点滴の日である。主治医に次の理由で抗ガン治療を中断したいことを伝えた。
1 . 依然として副作用が出ていて日々難儀している。手足に皮膚炎がでて、夜にかゆみが強くなってよく眠れない。排便の周期が不規則で、お腹の調子もあまり良くない。ただ、下痢はしていない。貧血ぎみで持久力がなく、外出も思うようにできない。
2 . 転移した腎臓ガンの大きさも変わらないし、このままそっとしておきたい。
3. できるだけ早く普通の生活ができるように、体力の回復に集中したい。もし、ガンがあばれ出したら、その時は緩和処置をお願いしたい。
以上のようなことを先生に話をして、点滴は中断することになった。治療は中断するとして、ひと月後に血液検査とCT をとれという。CT は放射線と造影剤のヨウ素が体によくない。超音波ではダメかと問うたが、ガンの判定が難しいとのこと。造影剤なしのCT を撮ることで了承した。いつまたお世話になるかわからないので、良い関係を維持したい。
副作用は全体的には少しずつおさまってきているが、最近不整脈がひどくなってきた。近所の循環器内科医に診てもらっているので、来週行ってこよう。
ガン治療からの解放で、気持ちはスッキリした。明日のことは誰にもわからない。只々、いまの生をまっとうするのみである。
一昨日、訃報連絡があった。小中学校で同窓のKくんである。息子は植木屋で自坊の木の伐採を頼んでいる。パーキンソン病で誤嚥性肺炎で亡くなったとのこと。仲が良かったのでさみしい。
どうしても、死を考えてしまう。すでに亡くなった同年の友のことを思いだす。
うーん、しばらくぼーっとしてよう。
幸太郎 九拜
ショック: 抗ガン治療はむだ ― 2025年02月06日 13:26
ショック: 抗ガン治療はむだ
先のブログで近藤誠先生の主張を紹介した。ガンに対して常識とは違う主張、いや今のガン治療を否定する考え方である。気になったので、著書「患者よ、がんと闘うな」を読んだ。
いやーまいった。これまでうけてきた手術から抗がん療法にいたるまで、延命という意味でなんら有効ではなく、むしろ副作用で寿命を縮めるというのである。主張は論理的なので技術屋にはかなり説得力がある。
確かに、食道をとった後、抗ガン剤の副作用(重度の大腸炎、下垂足、貧血、など)で体調が悪く今だに体力は落ちたままである。現在の世界標準の治療らしいが、食道切除と副作用による健康被害、生活の質の低下、治療費を考えると大損である。
今さらどうにもならないが、手術以外の方法があるのか少し調べてみようと思う。少なくとも今やっているキイトルーダは副作用として皮膚炎がきつく、腹の調子も悪いので点滴はやめるつもりだ。
では、腎臓に転移しているガンはどうなるのか。近藤先生によれば抗ガン療法は効かないというし、確かにこれまでキイトルーダを4クール、体力の限界まで試して明らかな効果は出ていないし、ガンが消えることはないと断言している。なので、副作用を我慢して続けるメリットはなく、費用はかかるし、取り返しのつかない健康被害の可能性もある。
もう少し早く、少なくともオプジーボを始める前にこの先生のがん論と出会えたらよかったのにと思う。開発者の本庶先生のノーベル賞などで良い薬だと信じ込んだのが間違いだった。
医療界、少なくともガン治療に関しては、数少ない治験データを統計論を使って分析しているのである。少し統計論をかじったものとしては、密室での少数データの統計解析の結果はとても信用できない。ガン新薬の効果の真相はわからないが、こんな具合ならこわい話である。
ドクターを信頼すべきだろうが聖人ではない。ほとんどは薬屋や医療機材屋との関係、自分の出世や生活を大事にしている普通の人であることを頭に入れておかねばならない。
近藤先生いわく、治療方法の選択は自分で情報を集めてよく考えること。抗ガン治療はほとんどのガン(90%)には効かず、延命策にはならない。むしろ合併症などで命を縮める可能性の方が高い。
ガンは老化現象で自然に治ることはない。ガンと闘うことで死ぬまで不自由な生活を強いられる。治療に多くを望まず、治らないことを素直に認めて、闘病から解放され自由に生きることが大切だ。ガンによる症状が出たら治療してもらうと割り切れば楽にすごせる。だれでも死ぬ間際にはなんらかの具合が悪くなるのだから。
繰り返しになるが、ガンは老化であって自然現象である。薬で延命できたとしてもたかがしれてる。実現可能性の低い延命への執着を捨てることができれば、今の生活を納得がいく充実したものにできる。
延命への執着はすぐには捨てられないが、抗ガン治療をやめ、リハビリに力を入れよう。一年半ものあいだ身体をボコボコにたたいてきた。しかも食道がないので、かなりの時間はかかるだろうが、体力が回復すれば楽しみも増えよう。
身体も気力も年相応の状態を目指すものの、年相応なんて判断するのは自分なのだ。適当なところでこんなもんだと思うことにしよう。でないと思うように調子が出ないことでストレスを溜めてしまう。自分のことなのにやっかいだ。
近藤のガン論との突然の出会い、ガン治療への不信感、治療を医者まかせにしたことへの後悔 ・・・ あー情けなや ・・・ しばらく坐ってないなあ
幸太郎 九拜
ガンが病気とは限らない ― 2025年01月29日 20:01
ガンが病気とは限らない
先日、孟司と誠の「健康生活委員会」という本を読んだ。闘病中なので健康に興味を持っている。適当に検索して、図書館でかりてきた。著者は二人、養老孟司の他に近藤誠という医者で、彼は1995年刊行の「患者よ、がんと闘うな」で抗がん剤の副作用問題を初めて指摘したそうだ。
二人とも引退した医者で、病気、健康、診断、保険など色々な医療に関する問題を忌憚なく対談形式で述べている。ほとんど常識とは違うことを指摘する内容である。
「がんが病気とは限らない」という話では、末期がんで痛い、苦しい状態は病気と言っていい。検査で進行がんが見つかっても、放っておいても自己治癒の可能性はある。転移したがんでも、自然に治癒したという報告論文はけっこう多い。
こんな調子で色々いわれると、それほど抗がん療法が効かなかったわが身としては迷いが出てくる。二人は、もっと「自然治癒力」に期待すべきで、薬は必ず副作用があり身体の健康を害するという考え方である。今やっている免疫療法はこの考え方と基本的には違わないので継続しようと思うが、副作用がきつくなれば即やめようと思っている。
ガンは不治の病と思い込んできたが、できはじめはおできみたいなもの。老化現象で、身体に無理がかかるとがん細胞が増殖して病になるようである。だからおできの段階で薬はいらず、無理を取り除くのが良いそうだ。実際なってみてなるほどと思うのである。
今年から治療は薬を減らして、体力の回復を図る方向になっている。著者らの健康に対する考えと一致するので、これでいいのかなとも思うものの、医者ではないので自信はない。
健康の秘訣は「今を楽しめ」で、「而今(じこん): 今を生きよ」とおしえる禅につうじる。養老は、一番健康に効くのは、社会的にはインフラを整備して衛生環境を良くすること、個人はバランスよく食べて、良い栄養状態を維持することと言っている。
また、自然のものをよく見て、自分も自然の一部であることに気づくこと。身体は仮の宿で、意識で「俺がどうにかする」と考えないこと。
人工の社会システムの中で生活せざるをえない現在は、意識しないと自然界を実感するのは難しい。子供のころの経験があるので自然環境への憧れが強くなっている気がする。歳のせいかもしれないが・・・
日本国は「楽しい日本をめざす」とのこと。めざすなんて、先のことはええ、なぜ、今を楽しめと言えないか、おまけに、地方創生で自然はどこへやら・・・日本は薬漬けの自称病人だらけ、楽しいどころではないぞ・・・政治家は仕方ないのかなあ・・・
もうやめよう、情報に振り回されてるぞ、頭がぐるぐるしてきた・・・やれやれ
幸太郎 九拜
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