ラ コリーナに行ってきた ― 2021年11月15日 20:30
ラ コリーナ近江八幡の草屋根
小さい頃、小学5、6年頃かと思うが、藪の中に小屋を作るつもりでスケッチを描いて父親と真剣に相談した思い出がある。その頃から小屋なんぞは自分でできるものと思っていた。建築への興味は今でも持っている。
若い頃、書籍をあさっているうちに、「タンポポ・ハウスのできるまで」という本を見つけた。著者は建築家の藤森照信でタンポポ・ハウスは自宅だ。屋根に植物を生やす方法にも興味があったので、興味津々で読んだ。彼の設計を調べていくうちに幾つかのキーワードが浮かんできた。それは、時は縄文、自然との調和、和の伝統と改革、プロアマ合流の手作り、材料系では、石は鉄平石、金属は銅、土壁、木は栗、焼杉板などである。建築史の研究者なので当然かもしれないが、昔から日本で利用してきた物が好きなようである。彼は路上観察学会にも入っていて赤瀬川原平の家も設計している。いわゆる「ニラ・ハウス」である。この会のメンバーは独特の価値観があってうまく言えないが、写真集なんかは結構面白い。
藤森氏の設計で「たねやのラ コリーナ近江八幡」があるのを知っていた。一度見てみたいと思っていたが、コロナで動けなかった。今月緊急事態が解除になったので行ってきた。
屋根は草で覆われていて、天辺には松の丁髷がある。やはりメンテがいるようで、若いのが安全帯を着けて屋根の草を修復していた。
昔、単管で小屋を作る時、屋根に草を生やそうと考えた。ちゃんと強度計算をして防水措置もした。一応形はできたが、水やりなどの管理が大変そうなので諦めた。今は見かけポリカ波板屋根で、よく見れば過剰設計の小屋になっている。
ここの草屋根の実物を見て、やはりメンテが大変な様子がよくわかったが、草屋根への憧れは消えていない。
♪ ロマンは続くよ・・♪ いつまでも・・・♪
畦道の樹木 ― 2021年11月18日 16:22
畦道の樹木
裏の田んぼは、村のはずれにあって河岸段丘の上部にあたる。比較的緩やかな段々畑になっているので、田は斜面で囲まれている。3面ある斜面のうち、2面は自然に任せたままで竹木があばれている。他の1面が水路を伴った市道に接している。その斜面には草、竹、木などが混生していて、毎年道にはみ出た枝は切っている。と言うのは秋祭りの地車の曳行ルートになっているので、じゃまになるのだ。コロナで2年曳行は中止になったが、道に出た枝は切らないといけない。斜面下の水路は結構深いので、うっかりはまったらケガする。草刈りの時は自然と下半身に力が入る。
ひょろっとした椋の木は逞しく育っていた。幹は結構な太さになっている。落葉樹は成長が早いこともあって、ちょっと放っておいたらこのありさまだ。樹種は椋、南京ハゼ、ナラである。椋は近くに大木があって、野鳥が実を食べてばら撒くのであちこちに生えてくる。芽生えたらすぐに引き抜かないと、大きくなったら始末に困る。常緑樹は樫の木だが成長が遅いので、適当に剪定すれば管理できる。
取り敢えず落葉樹の枝を払った。写真左のように、枯れ木ではないが山のにぎわいになった。後日、枝の山を細かくして辺りにばら撒いた。太いところは焚き木にする。切り枝も枯れてしまう前に始末しないと、硬くなって難儀する。ただでさえ椋の木は硬い。
枝の始末に丸一日かかった。
道は川に向かって下り坂になっている。遠くに見える家や林は川向こうである。左にある水路は今でも田畑に水を配っている。昔は稲作をやっていたので、この水路にはお世話になった。
じゃまになるので仕方ないが、大きくなった木を切るのはなにか気が引ける。幼なじみが、村には大きな木が殆どなくなったので、できるだけ切るなと言う。歳を考えると、溝付き斜面の草刈りは、今後命がけになりそうだ。部分的に防草シートでも敷くかな。いずれにせよ狭いところで自然と共生するには、少し知恵がいるように思う。
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