断捨離と供養 ― 2021年10月18日 17:10
断捨離と供養
コロナ禍で会合がなくなって2年ほど経った。急に寒くなってそろそろ衣替えかと思って、部屋の衣紋掛けを見た。スーツやジャケットなどが、隅っこで埃をかぶっているではないか。全く出番がないのだ。ポストコロナになって会合があっても、現役時代のスーツは着ることがない。いや着ることができない。減量で、サイズが合わないのだ。と言うことでスーツやジャケットを捨てることにした。ただ、資源ゴミに出すのは勿体ないと思って、比較的新しいスーツやジャケットなどをリサイクルショップに持っていくことにした。
近くにキングファミリーがある。以前買取に出して、何百円かガソリン代ぐらいになったことがある。今回、エルメスなどのブランドネクタイも2本入れた。さて、査定額は驚きの¥17円、残念無念。よく考えてみれば、古着屋でビジネス用品は誰も買わない。昔、皮の高級ビジネスバッグはゴミで、ナイロン製のリュックだけ値がついた事を思いだした。今更ながら、価値観のずれは半端ではないのに気付かされた。他にも色々ずれまくってるのだろう。知らぬが仏か。みみっちいがブランドネクタイ2本は持ち帰ることにした。何と残りは¥3円なり。お店の募金箱に入った次第。

若者向けの洒落たものは何もない。もう二度と行くまい。まだ、断捨離には記憶が邪魔する。酒でも飲んでお別れの儀式をしたらどうかなあ。よく働いてもらった。
(河内のオッサン)
そりゃえーな。なんでもいろんな人のお陰で出来てるんや。感謝しなはれ。酒飲まんと、供養しとけ。
あの世に入っても役立つ樹木(その2) ― 2021年06月07日 17:29
あの世に入っても役立つ樹木(その2)
黒松を切って1年が過ぎた。今から3年ぐらい前の話。4月は竹の子の季節、茹でるのに「へっつい」を使う。それ用の薪がいる。この季節天気が不安定である。シートを張って雨対策にしていたが、春の嵐もあるし常設にはできない。
と言うことで、例の黒松を使って下屋を作ることにした。写真手前に納屋の庇がある。これは大工がつくったものでしっかりしている。これを利用した下屋は昔作った。写真の手前で、それに接続することにした。
材料は昔家を建て替えた時の廃材である。先代は棚や机など殆ど自作していた為、使えそうな材木はためていた。ところが保管状態がよくなかった。腐食と虫食いが進んでいた。使えそうな材を分けて保管していたが、最近は単管を組んで作ることが多いので、木材の出番が少ない。将来的にも利用可能性が低そうなので、ぼちぼち始末したいと思っていた。チャンス到来だ。
長尺の健全な廃材はほとんど無い。添え木をして軒桁につかった。写真左端は例の松で直接ネジ釘でとめた。だが中程は腐っているのでぶよぶよしている。屋根の波板を張る時気をつけねば。この時体重75キロ、ようやく持つかどうかだ。
昔庭に生えていた樫の木も保管してあったので柱に使った。床柱ではないが、自然木を使うのは難しい。あーでもないこうでもないと現物合わせで何とか立てた。軒桁は頼りないが、端はプロが作った物に接続してあるし、例の黒松が逞しい。称して、両端アーティスティックオーバースペック下屋である。
手前は以前に作った薪置場で屋根は一つにつないだ。
薪を置くための棚は竹で作った。波板の屋根は雨降りの時に完璧なシャワーになる。樋は必須で、これも竹で作った。
廃材はなかなか捨てられない。親譲りか、家訓か小さい頃からため込む癖がついていて、なかなか変わらない。どんな広い家でも溜め込めばゴミ屋敷になる。日曜大工やらアートやらと言いながら、周りの理解を求めているがやはり限度がある。迷走真っ只中・・・
須田剋太のある「喫茶・美術館」 ― 2021年02月22日 17:45
ブログ 須田剋太のある 喫茶美術館
家人から、「喫茶・美術館」と言う喫茶店に須田剋太の絵があると聞いた。早速行ってみた。家から徒歩30分、歩道横に置かれた看板は写真のようによく見ないと判らない。

左に曲がって奥へ進むと入り口がある。

喫茶・美術館の入口

店内は写真のように、松本の民芸家具で揃えられている。外の景色から一変して大正ロマン風と評される。壁には須田剋太の絵と書が掛けてある。
コーヒーを頼んだ。

チラシをもらった。
この美術館ができた経緯は、次の通りである。
お好み焼き店「伊古奈」の主人、大島墉氏が司馬遼太郎の「街道をゆく」で須田の挿絵に出会い惚れ込む→近所の鍼灸師が司馬遼のマッサージをしていたので、師を通じて司馬遼に須田剋太を紹介してもらう。須田剋太の絵がこの3人が繋がる赤い糸になり、大島氏の夢が実現することになった。
若い頃、須田剋太の展覧会に行ったことがある。絵はぱっと見は汚いが妙に気になった記憶がある。今回、新ためてその迫力に感動した。須田画伯について少し調べようと、図書館に行って「画狂 剋太曼荼羅:加藤 勉著」を見つけた。若い頃の変人ぶりは尋常ではない。すごいの一言。
晩年になって普通になったように見える。まるで悟りを経験した禅僧のようだ。道元禅師が側にいたようで、正法眼蔵を研究していたそうだ。芸術の本質は禅となんら違いはないとのこと。文字・言葉では判らない。実践あるのみ。そこから産出する、表現、動き、生き様にブレはない。
以下の写真は「画狂 剋太曼荼羅:加藤 勉著」より拝借。
やはり書画はかなり迫力がある。じっとみていると絵は深い。尋常では描けない。須田画伯亡き後、安野光雅が挿絵を描いた。画風はメルヘン調である。何か対立軸にあるようだが、どちらも感動することに変わりはない。感情の表現という意味で共通しているのだ。怒り、喜び、畏れ、祈りなど人に普通にある制御が難しい感情ではないか。人はこれらを内にしまっておくことはできない。岡本太郎の「芸術は爆発だ」のイメージが脳裏に浮かぶ。須田剋太風の迫力が欲しいが、これは出そうと思っても出ない。自然体で、無、三昧の境地でバッと出るのだろうな。酒の力を借りれば、手っ取り早くそのつもりになるが、酔いがさめると大概やり直しになる。
人の絵を真似ても同じ絵は描けない。子供の頃、いや若い頃の絵も今はもう描けない。今日の吾は昨日と違うのだ。只々今を生きるに徹すのみ。
(参考) もう描けない若い頃のスケッチ。
URLは http://www.ne.jp/asahi/katano/yukio/
寒中お見舞い申し上げます ― 2021年01月14日 17:41
三沢厚彦 ANIMALS ― 2021年01月06日 13:03
ブログ 三沢厚彦 Animals
木彫に興味がある。ハルカス美術館で三沢厚彦の展覧会が開催されていたので行ってきた。場所はハルカス美術館。テーマはアニマルズで、等身大で大きい。

顔はひょうきんで親しみが湧く。目つきは逆八型でやや鋭い。彫りは丸みに沿って円周方向に彫ってある。

作者は図鑑で大きさの確認はするが、動物園などで実物は観察しないそうだ。先入観が表現の邪魔をするようだ。

スケッチしてみたらこんな具合だ。真似たがこれは既に三沢のそれではない。やっぱり実物のほうが迫力があるなあ。

空想上の動物には力が入っている。ボーと見てたら気付かないが、背中に鳥みたいな人が乗っていた。子供には見えない高さだ。どんな意図なのかつい考えてしまう。

別の空想上の動物には、背中にヒョウのような顔が乗っていた。これは後ろに回れば子供でも見える。子供は違和感なく見えるのだろうなと思うと羨ましい。

写真は撮れなかったがが、真似できそうな小さな作品もあった。一度チャレンジしようと思う。














最近のコメント