緩和ケアの日常2026年07月14日 15:53

 緩和ケアの日常

 点滴による抗ガン剤の投与は、副作用と効果の点で限界にきたため、止めることになった。先にお知らせしたとおりである。この先は緩和ケアと介護で色々な人たちの支援を受けることになる。

 否応なしに死への下り坂を進まざるをえない。若い頃に禅宗の西村恵信和尚の講演を聴いて頭に残っている言葉がある。

 「人が生きるとは、ブレーキのないトロッコに乗って下り坂をころがっているようなものだ。その先には崖があるのみ。崖が見えると人は生きてられないので衝立をたてて見えないようにしている。」

 緩和ケアの準備に入って急速に気力がなくなっていくように思う。トロッコの衝立に穴があいて、崖っぷちが少し見えるのである。身の回りのことは自分でできるが、気は先行してトロッコを加速する。やはり衝立に穴があってはいけない。

 癌とわかって病院にかかっている時は、できるだけ自分のガンや、薬、療法について知識を持てといわれた。調べる手段はインターネットを主に色々ある。ニセ情報もあるが、大体のことがわかってくる。とくに治療法の限界がみえてきて、衝立に穴があいてしまう。穴からは遠くにぼんやり崖らしき影が浮かぶ。

 昨今はAI で知識はすぐに整理がつく。それで脳は一旦落ちつくが、心はそうはいかない。心の闇にあかりをつけてスッキリしたい。

 四苦八苦に直面して人は宗教に救いを求める。日頃から本願信心にこころがけてなければ入り口の門は開かない。禅では悟りがある。これまで何度も坐ることの重要性を考えてきたが、AI の応答の如く知識の域をでない。これではいかんと思うが心はいかんせん動かない。どうすれば良いかわからないが、教えは一つ、ただひたすら坐れという。

 現実は身体が痛むと坐るどころではない。モルヒネで痛みをおさえてできることをやるしかないのだが。ぼやいていても仕方ないのだ。なかなか容易くはないが ・・・他に思いつかない。全ては自分がどう考えるかの問題で、できても出来なくてもよいのだが。何度も雑念が湧いては消えるのでスッキリしない日々である。トロッコは下り坂を転がり続ける。この先ゆるい坂道になれば気が楽なんだが・・・スッキリしない・・・

 ここまで書いて、ふと考えると言うか、我にかえる。何時もの癖で理屈をこねくり回したって、何を言いたいのか?何が問題なのか?生と死なんて、雲を掴むような話でそんな中に突っ込んでもスッキリするわけがない。かといって、闘病で死と向き合わざるを得ない時、心は何らかの整理を要求してくる。

         幸太郎 九拜

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