寺のクリスマス2023年12月19日 13:55

 寺のクリスマス


 幼少の頃は、欧米へのあこがれが強かった。特にアメリカの豊かさにあこがれた。戦後の好景気がスタートし、明るく、楽しそうで、舶来と言って、いろんな物事がハイカラ、新鮮であった。(ハイカラで1970年頃のシニカルな歌、はっぴいえんどの「はいからはくち」を思い出した。ロックミュージックで西欧迎合にあらずと、その本質を追求していたバンドである。疲れた時に聴くのに良かった。)

 クリスマスは明治の終わり頃が始まりらしいが、日本風にアレンジされ一つの文化として定着している。小さい頃は親が、お菓子で詰まった靴型の箱を、枕元に置いてくれるのが楽しみであった。

 思春期になって、クリスマスソング、カードなど、宗教的な意味が分かるようになっても、それはそれとしてお祭りとして騒いでいたように思う。

 自坊では、寺だからどうのこうの言うことはなかった。ただ、この季節、寺でクリスマスとは如何なものかと、忘年会などで話題になることもあったときいた。

 古くから日本人は八百万の神を奉り、仏、キリストなどを排他することなく、それなりに受け入れてきた。この寛容な風土がベースにあるので、宗教にこだわることなく、いろいろな文化を取り込んできたのだと思う。

 純朴とも言えるこのような風土は、時に誤解を生む。定期礼拝を欠かさない信教徒からみれば、日本人の宗教観はないに等しく、無宗教に近いのではないか。これに対し、仏教学者の鈴木大拙は、「日本人の生活そのものが宗教的である」と述べている。確かに、でも、どこの国でも生活と宗教は密着しているように思う。

 話を戻そう。日本のクリスマスは、たいがい子供向けのイベントであるが、宗教性の認識に関係なく、寺でも神社でも楽しめば良いと思う。もっと言えば、Xmas、ハロウィーンとなんでもやってみれば良い。極東の島国では、世界の多様性を理解し、受容力を鍛えるチャンスは限られると思うからである。



 といっても寺の12月は寂しい。日本も世界もクリスマスだらけ。8日はお釈迦様の悟られた日で、寺では成道会が行われるのだが、一般には、ふーん、そうですかと影が薄い。

 今や、クリスマスになっても、若い頃のようなときめきは無い。だが、年の瀬にいつもの緊張感が湧き、何かあれば神・仏とつぶやき、けっしてホトケ・カミとは言わない、しばし多様性を考え、また忘れてしまう普通のおっさんでありたい。

 いや、できれば、♪ 一日二杯の酒を飲み・・・時代遅れの男になりたい ♪

 

コメント

_ やっちー ― 2023年12月25日 10:06

1960年代にアメリカの家庭のホームパーティーに招かれたことがある。昔「奥様が魔女」というTV番組で感じた明るく、豊かな日常の生活を体験した。
今の日本はあの明るさと、豊かさに追いつているのだろうかと思えるほど強烈な出来事になっている。
現在のアメリカを見ていると,豊かさの後に何が必要になってくるのかを考えさせられる。

_ アージ ― 2023年12月28日 09:15

小さい頃はアメリカの豊かさしか知らなかったように思います。今はいろんな情報がすぐ入ってくるので、知ってしまえば考えさせられます。情報の真偽、偏りなどもあって考えることが多すぎますね。
世界のニュースをみて、人間のやることなんて本質はさほど進化していないのではと思います。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://aaji.asablo.jp/blog/2023/12/19/9643899/tb