住環境の自然を考える2024年04月25日 17:27

  住環境の自然を考える


  小さい頃は身近に自然があった。ここでいう自然は田畑、林、竹藪、家には庭、生垣といった樹木や植物がそばにある環境である。たまたま寺で生まれて、こんな環境で育ったためか、ぼんやりと、老後は自然にかこまれて生活ができたらと考えていた。

 こんな考えの甘さがここにきて次々に露呈してきた。まず、認識の甘さの第一は、自然との共生にかかるコストは半端ではないことである。

 草木は毎年成長と誕生で膨張し続ける。こっちは体力のあるうちは良いが、歳とるにしたがい体力は衰え、病気にもなる。樹木は大きくなる一方で老体では手に負えなくなり、プロに頼むことになる。

 次に、村の田畑はどんどん宅地に変わっていることである。寺の周囲の田畑にはすべて家がたった。段丘地形で境界は斜面になっている。伸び放題の大木が道にはみだし陽をさえぎる。もはや放置できない状態になった。クレーンを据えるスペースを確保できるぎりぎりのタイミング(2022年2月)で、5本伐採してもらった。http://aaji.asablo.jp/blog/cat/sizen/?offset=30 

 このきっかけで、他の家からも伐採の要望が来て、昨年の2月にも伐採した。https://aaji.asablo.jp/blog/2023/02/

 7月にガンが見つかって、一休みかと思っていたところ、昨年の暮れに市から、市民から通報があったので木を切れという通知が来た。

 どこのことを言っているのか分からないが、市に問い合わせるのも煩わしい。もともと気になっていたところがあるので、いつものプロに頼んだ。こちらは入院中なので立ち会いなしで伐採してもらった。


写真 伐採前(2023年1月)


伐採後(2024年3月)

 

伐採前(2023年5月)


伐採後(2024年3月)


 高木は、劣化したスレート吹きの倉庫ぎわにある。道はけっこう車が通るし、クレーンを据える場所がない。プロは高所作業車でなんとかできるという。結果、スレート屋根を損なうことなく、なんとか切ってくれた。これで近所迷惑な高木は全部始末した。

 自然との共生にあこがれて生きてきたが、ここにきて実現の難しさを実感することになった。

 前述の繰り返しになるが、見込み違いの第一は、自然のしたたかさというか、たくましさは、歳とってはじめて見えてくることである。すでに体力がついてこない。

 第二に、動植物、生き物の宿命である子孫を残すための戦略は、植物は動物の比ではない、量において圧倒的である。

 残るは家に近接する庭の木である。病気回復後に自分で切るか、プロに頼むか、そもそも庭の設計ができていない。庭より先に建屋が傷んできている。それより先に自分がくたばるシナリオもある。

 うーん、負のスパイラル。闘病中に先のことを考えるのはやめよう。

 「即今只今」 今できること・・・そうや、そろそろ衣替えか、断捨離も残ってるぞ・・・


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