自然の中に宝がいっぱい2021年10月05日 17:29

 自然の中に宝がいっぱい


 前のブログに書いたが、養老孟司とCWニコルの対談「身体を忘れた日本人」を読んだ。薄々気づいていたが、小さい頃の自然環境は、かなり破壊してしまっていることを改めて知らされた。


 養老とニコルは言う。

1 養老:  小さい時に、人間が昔から共存してきた細菌や寄生虫に触れていないと、免疫反応をコントロールするメカニズムが育たない。だからアトピーのように自分の細胞を攻撃してしまう(自己免疫病) 

2 養老、ニコル: 都会の生活はエアコンなどで温度も明るさも一定で変化がない。人は家畜化していて弱い。しつこさ、泥臭さがなくなって、スマートな人ばかりになった。(心身の弱体化)

3 ニコル: 黒姫に1980年から住んでいる。来た時は良かったが、原生林が伐採されて環境はどんどん悪くなっていった。環境保護を叫んでもよくならない。仕方なく森を少しずつ買って手入れを始めた。人工林の杉は、子孫を残すために必死に花を咲かせている。(花粉症)


 厚労省の調査によれば、国民の3人に1人が何らかのアレルギー疾患があるらしい。原因として環境要因があげられている。確かに何年か前から、春になると花粉に悩まされるようになった。

 沢山ある森も再生しなければならないらしい。人が作った森は放ったらかしでは荒れる。そこには豊かな自然はない。子供も遊ばせられない。動物の食べ物も少ない。彼らは餌がいっぱいある里に向かう。久しぶりに、豊かな自然を育む森の大切さを再認識した。


 さて、アー寺の竹藪、田んぼ、庭は荒れ放題、自然農法(福岡正信)や庭木の自然風剪定(峰岸正樹)などと言い訳してもはじまらない。「自然」という言葉だけが暴走している。

 オッサンよ! 豊かな自然の方が、余程手間がかかることわかってますか。そやけど寺に農薬撒く気にならん。まだ井戸もあるしなあ。一生懸命に庭の手入れをしても、毎年何かが残る。すっきりしない。死んでも完成しない庭か。

 ケルンの大聖堂やな。20年前ドイツ人が言ってた。いつ見てもどこか修理していて完全な姿は拝めない。確かに塔にゴンドラがぶら下がっていた。建設開始から600年以上かけて1880年に完成したらしい。人間の営みも、悠久の自然のうちか。

 全然レベルが違うやないかい。悠久たら自然たら、気の向くままに能書きたれて、せいぜい長生きしなはれ。いやいや、今を生き切るんや。




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