「永遠の微調整」中島岳志2022年09月04日 20:13

 「永遠の微調整」中島岳志

  NHKの番組でスイッチインタビュー「UA×中島岳志 EP2」を見た。中島岳志は政治学者だそうで考え方に共感するところがあった。キーワードは永遠の微調整である。

 これまで、酒を飲んではあれこれぼやいてきた。きっかけは、次の単語が登場する時である。

1 政治: 安倍、橋下、規制改革、民営化

2 経済学: 竹中、堺屋、新自由主義

 流行りの丁寧な説明をされても、その主張がどうも腑に落ちない。そんな、もやもやする頭が、少し整理されたように思うのである。


 上手く言えないので、NHKのサイト

https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/MPZZ23W13W/blog/bl/peZjvLyGze/bp/pr9xv3bjKn/ ) から引用させてもらう。


[ 中島の考える「保守」は「自分を過信せず、他人の意見に耳を傾けながら微調整を続けること」。そのためには、過去の人々が積み重ねた失敗や経験を大事にする、つまり「死者たち」を背負って政治を考えることが重要と語る。

 そして、理想とする「民主主義像」は、過去にリスペクトをしながら「永遠の微調整」を続けること。]


 高齢者の仲間に入って、あれこれ悩むこともないが、テレビで中島の話を聞いて少しスッキリした。よく知らない学者なのだが、政治と国民の関係をうまく整理している。深入りしないが、先に挙げたぼやきの源泉(単語)についての解釈が気に入っている。

 人は不連続ではなく、少しずつ叡智を積んで、微調整しながら大きく揺らぎ、進歩するのが社会の理想で、急な変化には犠牲が伴う。それが歴史だと言えばそれまでだが、やっぱり理想像は持ち続けたい。


<ご参考>

 それなりに偏っていると思うが。2017年と少し古い以下のヤフーニュースのサイトが参考になった。 (https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20171020-00077161


 猛暑下でのぼやきも体力がいる。そろそろガス欠かな。それにしてもつまらんニュースが多過ぎないか。

 すでに暦は秋、9月10日は中秋の名月になる。秋の夜は長いし、なぜか寂しい。

 ♪ 十五夜お月さん ごきげんさん ♪  

と悲しいうたも思い出す。

 十五夜の昼は、義母の四十九日の法要を営む。気を鎮めて祈願せねば。一息ついて、秋の彼岸である。ご先祖さんを迎えねばならない。さらに村では、3年ぶりのだんじり祭りでカネや太鼓の大騒ぎとなる。

 ふと考えてみると、これらの行事は神や仏さんへの祈願である。人々が経験を微調整しながらあみ出したもので、群れをなす人類が災いを凌ぐための叡智である。

 だが、この群れに馴染めない者は少なからずいる。他者の意見を聴く、微調整の考え方が彼らを救う知恵の一つになるかもしれない。

 テレビでは何とか教会で騒がしいが、この機会に宗教・文化の歴史と将来について少し考えてみるか。ちとテーマが大きすぎるかな。いや、秋の夜長、正解のないテーマは入眠にちょうど良いではないか。




台風11号対策2022年09月11日 13:12

 台風11号対策


 竹藪と田んぼの境界に生えている樫の木とシュロが立ち枯れしている。原因は水切れだと思うが、枯れて2、3年になる。樫は丁度電気柵の際で、虫に食われた枝が、時々落ちて柵線に掛かりショートする。強い台風11号が来るとの予報で、この際伐採することにした。

 根元を切って倒せば簡単なのだが、電気柵を直撃したらその修復も大変なので、短い長さで木の上の方から切ることにした。


 写真の三脚を立てかけた木が樫で、右がシュロである。左手は急な崖で竹藪になっている。手前と向こうの田んぼとは、50センチぐらいの段差がある。

 三脚の中足は地についていない。三脚の頭の端が枯れ木に掛かっているだけなので危ない。木は手で押しただけではびくともしないが、安全を見て三脚の頭と枯れ木をロープで結え、手前の竹2本にくくり付けた。


 無事、枯れ木の上部を切った。


 下の方を切るのに三脚が邪魔になるので、段差の下に据えた。



 薪にちょうど良い、長さ70センチ弱に切って樫は始末した。



 次はシュロである。



 シュロの胴は、真っすぐで均質なので、狙った方向に倒しやすい。伐採の基本、追い口切りで素直に倒せる。

 まず、受け口を作る。



 次に追い口を少しずつ切れば良い。適当な所で手で押せば倒れる。



 今回は少し見当がくるった。内部が腐ってた。



 シュロの表皮は例の茶色い毛のようなもので、ポリフェノールがあるので腐らないが、内部にはそれが無いのである。受け口の切り込み寸法は丁度良かったが、チェーンソーで追い口として少し切っただけで、倒れてしまった。予定した方向だったので良かったが、予期していなかったのでヒヤッとした。


 シュロは焚き木に向いていない。繊維質で水分が多く火つきが悪い。さらに、この幹は腐っていて強度がない。ただシュロの皮は腐りにくい。ということで適当な長さに切って、段差の足がかりとして電気柵に沿って敷いた。これで柵線点検時の上り下りがやりやすくなる。

 枯れ木はそれぞれ腐り具合が違う。放っておけば、突然倒れて大変なことになる。上の写真の両サイドに転がる丸太は、数年前大音響とともに倒れた大木の残骸である。台風でもないのに、突然、何事かと思った。電気柵はぐちゃぐちゃになるし、木が大きいので始末に苦労した。

 この木は邪魔になったので、人為的に、幹の周囲を剥いで枯した。大木が枯れると、どうなるのか全く考えていない。突然バリバリどっすんとはびっくりした。誰も怪我せずに済んだが、かなり危険なことをやったものだ。

 ふと、思った。枯れ木も高齢者も、倒れるのは同じ仕組みではないか。キーワードはバランス、つりあい。

 最初は上の方の枝先から朽ちていく。ところが、日当たりの加減で均一には朽ちない。根元も次第に弱っていく。重心のぶれに持ち堪えられなくなった時、ばたんきゅうとなる。

 これを防ぐには芯がぶれないように、心身ともに全体老化を心がけることか。やっぱり、なかなか難しい。

 自然界に手を入れる時は色々考えてはいるが、想定外は結構ある。今回のシュロも危なかった。こちらのセンサーも老化の一途である。

 秋になれば涼しくなって外の仕事に精が出る。だが、一人で林業の真似事はやめよう。大体、頭でっかちで、気がはしる。

 バランス第一、ここで、戒めの一句

 「天高し、トンボ追いかけ、天国へ」

 



いちじくとカミキリ虫2022年09月20日 15:09

 いちじくとカミキリ虫


 いちじくが好きで、適当な空き地に植えている。かれこれ10年ぐらいになるが、実を食べたのはわずかしか無い。実が熟れれば黄金虫、幹はカミキリ虫にやられるのである。カミキリは白い斑点があるので、ゴマダラだと思う。

 幹がやられた木はあきらめて、その木の剪定枝を挿し木で植え継いでいる。ただ、50センチぐらいの枝を直接地面に突き刺すだけである。夏の干ばつにあわなければ、大概根付く。背丈ぐらいに育ったら、カミキリ虫にやられる。この繰り返しだ。

 さて、カミキリである。幹に卵を産みつけ、かえった幼虫は表皮の下を枝先に向かって食い進む。穴から木屑のようなのが出ていたら食われている。針金でほじくって始末するのだが、発見した時は手遅れになっていることが多い。 

 大体樹皮の下は樹液の通り道である大事な道管がある。だから、幹の周囲を一回り虫にやられたらその上は枯れる。

 一昨年、根元が虫にやられたらその上が全部枯れるので、根元をまもるために2、30センチぐらいアルミ箔で覆った。流石に、そこは虫は避けた。ところがその部分は日が当たらないので、根を出す。だが地にまでは届かず、かえって木を弱らせるように思う。更に、田んぼに植えた木のアルミ箔はカラスに剥がされてしまった。

 それではと、昨年は根元から1メーターぐらい白の不織布を幹に巻いた。一見、これはうまくいった。ところが、ひと夏で劣化してボロボロになっていた。

 遠目には白いので安心していたが、よく見ると何か木屑のようなものが透けて見える。既に不織布はボロボロで手で簡単にちぎれる。結局、虫食いの発見を遅らせる結果となった。このような無残な姿になった木は3本ある。


 不織布を剥がして針金でほじくり、殺虫剤をスプレーした。一周回っているところはないが、残っている樹皮は細いところもある。ウーン悔しい。

 次の手として網戸用の網を巻こうと考えている。劣化に強いはず。いや、劣化の程度は時々チェックすれば良い。



 隣でカマキリを見つけた。カマキリはカミキリ虫のような甲虫は食べないのかな。ダメか、じっとしているか、風に揺れる枝のように擬態して待ち伏せてる。ブロックの上では擬態は通じんぞ。しばらく経ったら居なくなった。

 ブロック手前のトタン屋根に、玉虫の死骸が転がっていた。


 翅は綺麗なままで、蟻にもやられずミイラになっていた。セミもよく地に転がっているが、蟻かイタチの餌になってすぐに消える。虫といえども、使命を終えた死骸は虚しげである。


 日は暮れた、昔は若き自由人、秋の夜長の般若湯、これ如何に。


 ♪ 今はもう秋 誰もいない海 知らん顔して 人がゆきすぎても わたしは忘れない・・・つらくても 死にはしないと・・・♪


 ここは、禅寺や。そんな歌は似合わんぞ。

 それやったら、これでどうや、

 「空澄んで、虫もあお向き、はや彼岸」

 チーン チーン チーン! ちょっと暗いぞー。

お主、トンボ追いかけ、転んで天国と違うんか。


 いや、帰ってきた酔っぱらいや。

 ♪ おらは死んじまっただ ・・・天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいし ねえちゃんはきれいだ ワー ・・・♪


 ぼちぼち、締めの一句

 「虫の音や 途絶えてさめる 夜明けかな」

お粗末でした チーン!





小屋の魅力2022年09月30日 08:19

 小屋の魅力


 小さい頃から小屋が好きだった。ダンボール箱で作った。その時分は大きめの箱は捨てずに取ってあった。木製のりんご箱などは親のもので、子供は手を出せない。紙の箱は遊び用に与えられた。中に入ったり、積んだり穴を開けたりして遊んだ。どうしてか分からないが囲われた空間に入りたがる。手の届く範囲というのは安心できるのだと思う。

 ある程度の歳になって、この興味は現実味を浴びだす。色々書籍をさがしては読み漁った。写真を見てあれこれ楽しむのである。その度に夢が広がる。建築関係の本は写真が多く高くて手が出せない。本屋で見つけては図書館にリクエストして借りた。

 夢に終わってはなさけない。手が届きそうなのは小屋である。「小さな家・可愛い家」は写真集でよく借りた。面白い家がいっぱい載っている。


 建築家で有名なル・コルビュジェの「カップ・マルタンの休暇小屋」にも憧れた。この小屋はかなり良く考えられているので有名だ。


 日本では藤森照信のツリーハウスや茶室も面白い。流石にツリーハウスは作ろうとは思わなかったが、材料を含めて自然を生かす考え方が気に入っている。この前行った草屋根の近江八幡のラコリーナも良かった。

 中村好文の「小屋から家へ」は買った。この本に古今東西の面白い小屋が紹介されている。


 出典:中村好文 「小屋から家へ」TOTO出版


 鴨長明の方丈は京都下鴨の川合神社に復元されているので、見に行った。また、良寛の五合庵も新潟まで行って見てきた。だが、感動は現物を確認することで終焉した。

 結局、色々夢を見てロマンを膨らませたが、実際に作ったのは単管を組んだ小屋である。設計はするものの、その小屋で何をするのかを考えた時、あれもこれもになる。利休の茶室のように削ぎ落とすわけにはいかない。結局、コストと手間がふくらみ、夢は破れる。考えすぎのきらいがあるので、とりあえず、薪や農具の一時置き場を作ることにした。

 初めて単管で組んだ小屋は、構造的にバランスが悪い。長さ3メータの単管を柱にした。地面を少し掘って20センチ位埋めた。単管の掘立て式である。問題は筋交がなく、垂木が細いのだ。ねじれはクランプのヒンジ強度に依存している。上部が軽いので壊れることはないが、ぐらぐらで屋根に上がるのは怖い。


 出来上がって、中にいろいろ置き出した。そのうち奥に行く通路がなくなり、ものの出し入れが不自由になった。物置として使い勝手が悪い。

 中に立てかけてある古い柱などを外に出そう。そこで周囲に庇を出した。その下に簡易な棚を組んだ。この辺りは単管なのでやり易い。これで飛躍的に使い勝手が良くなった。ただし、周囲は多少濡れてもよい長尺の廃材などを置いている。



 とりあえずこんな物置から手をつけた。体裁を気にすることはない。手軽に改造できて結構面白い。

 このころから、単管ワークに自信がついてきた。「たねや」のラ コリーナ近江八幡の草屋根 (2021,11)でも書いたが、屋根に草を生やす藤森先生の建築にあこがれていた。

 それではというので、単管組みで作ろうと考えた。屋根に土をのせるので、素人なりに強度計算もして、筋交なども結構いれた。


 屋根の構造は野地板にOSB合板、ポリカ波板である。波板の継ぎ目は接着剤でコーキングした。素人である。防水シートをかますのを忘れた。いざ屋根に登ると波板がブヨブヨで頼りない。まあ、なんとなるかと思い、とりあえず腐りにくいシュロの木を載せて、四角の囲いを作った。囲いの中に防水シートを敷けばよい。

 ここまできて、屋根の上に生やす植物のことを考えた。藤森先生の家はタンポポハウス。赤瀬川原平の家はニラハウスである。いずれも散水装置がついている。また植物は種を作る。タンポポの種はよく飛ぶ。近所からクレームがでたことを何処かで読んだ。

 我小屋に散水となるとホースで撒けばよい。手入れにしょっちゅう屋根に登らねばならない。この辺りまで想像して、草屋根はあきらめた。残念無念である。

 数年経って、屋根に載せたシュロの皮はカラスが巣の材料としてつついて行った。幹の部分は腐って蟻の餌になっていた。重かったシュロもスカスカになっていた。全て下ろして普通の波板の屋根に戻した。

 そのうち草や剪定枝などの処分場がほしくなって、小屋の前に焚き火場を作った。火からまわりの樹木を守るのも兼ねて、小屋から単管を伸ばして、長い庇を出した。これで小雨ならしのげる。この辺りの拡張性は単管ならではである。台風が来れば飛びそうだが、また修復すればよい。


 単管小屋は二つ作ったが重宝している。おかげで単管の取り扱いは上手くなった。雨の日が良い。小屋の雨漏りの点検が楽しい。不具合や改善箇所も見つけやすく、そこからまた色々構想できる。

 手が届きそうな夢がよい。構想してから完成までのプロセスが最も楽しい。これは絵を描くときも仕上がり前がよい。そばにワイングラスでもあれば最高である。

 プロセスが楽しいのはなんでも一緒かもしれない。たとえばカメラを買うときでも、機種を選んでいる時が一番ワクワクする。買ってしまえば熱は冷める。

 結果はすでに過去のもので、変えようがない。自由度のある先は面白いのである。散歩やドライブとよく似ている。人間はうまくできている。即今で生きて、想いは先に、楽しくすごしましょう。

 次の、単管ワークは般若湯片手に、只今構想中・・・夢はふくらむ・・・さて・・・?