樹木希林 平気に生きる2022年03月24日 20:24

 樹木希林 平気に生きる

 樹木さんの言葉が宗門発行の月刊冊子に載っていた。自分より七つ年上のお姉さんである。彼女の人生観に共感するところがあった。それは「どんなモノでも使い始めたらできる限り活かしきって、最後まで使い切って『始末』する」ことを心がけていたことである。


『始末』

 たとえば、メタボ時代の服は、みんな着ることができる。ただ少しオーバーサイズになるだけである。さらに、毎日が普段着で過ごせて、ホームセンターを散歩するにしたって人目は気にならない。似合ってるはずと、高齢者の思い込みにブレはない。 

 とくに、洗濯回数が少ない冬物は傷まない。買い換えたいがダメにならないので買う必要がない。いやコート類への執着が強いのだ。というのは、高校の時に出会ったゴーゴリーの「外套」に影響を受けた。ロシアほど寒くはないのに、貧乏人は最も大事にしなければならない服となってしまった。たまたま、このパパスのジャンパーは20年以上現役である。少々高かったが、縫製はしっかりしている優れものだ。ただ、肩のあたりが色褪せてきた。自分と同様に衰えとほころびが見えてきて、よけいに愛着が深まっている。


 樹木さんは必要以上にモノを持たない主義を徹底していたそうだ。自分も無駄にモノは買わない方だが、隠居生活になると途端に外出の機会が減るので、衣装ケースで眠ったままになる。

 このような退役衣服は作務に引っ張り出すものの、使い切って『始末』するのには時間が足りない。きつい作務ができなくなっているので、なかなか擦り切れない。それに夏場の草刈りは、最近主流になっている速乾下着と空調服でないと、こちらが熱中症でお陀仏になる。結局、世の常で老兵の出番は少ない。


『知足』

 彼女の思いの底には、仏の教える『知足』が流れている。「自分の身の丈を知って、それを受け入れれば、人と比べて驕ることも卑下することもなくなる」また、『四苦』について、「老いてゆく自分の変化を楽しみ、なんでも面白がって過ごせば、いい歳のとり方ができる」 モノだけではなく自身の冥利も大切にしてたそうだ。61才で癌の告知を受けて、別のものだと思っていた、生と死が一体だと気づいたと言う。

 この死生観は、なかなか持てるものでない。自己も含めてモノの本質と向き合い、吾唯知足が日常になって、そのうち・・正岡子規の「悟りといふ事は如何なる場合にも平気に生きて居る事であった」・・・いずれも『知足』のベースがあって、不治の病がこの境地に導いたのではないか。

 自分もいろいろ持病や痛みはあるが、今のところ、苦悩を伴うほどではない。老いは確実にすすむ。いい歳を重ねたい。『知足』が自然体で心に常住することを願って・・・今宵は、♪・♪はやめて、閑かに般若湯を少し頂いて『知足』の実践や!