佐伯祐三 回顧展2023年06月08日 15:59

 佐伯祐三 回顧展 @中之島美術館


 久しぶりに美術館に行ってきた。佐伯祐三、142点の大回顧展である。油彩では好きと言うか、憧れる画家である。ヴラマンクやユトリロの影響を受けているらしいが、確かにそれなりに感じられる作品が幾つかあった。



 ヴラマンクか?



 ユトリロか?


 いづれも自分では描けない迫力である。須田剋太も力強いが、佐伯のパリの壁はすごい。


 つぶやきが聴こえる。「オレは生きてるぞ、お前はどうや」


 パリに渡ってまもなく、フォービズムの巨匠ヴラマンクに言われたらしい。「描くのは対象の表面上の色、光と影ではなく、物質本来が発する色をみよ」なるほど、写生と言うけれど、対象との心の会話である。それが出ないと、絵にならない。子供は心に映ったまま、技なしで出してくるので自然と絵になる。

 佐伯も初期の頃の絵は、技が優位に見えるが、晩年は技に心象描写の豊かさが加わり、その深みが心をひきつける。




 画家の癖かもしれない。人物でも建物でも左に傾いている作品が多い。小学生の頃に水間寺の三重塔を写生した。やはり左に傾いていたのを思い出した。

 この日は、6回目ワクチンの副反応上がりなのだが、午前中はジムで少々やり過ぎ、昼食後1時間も寝てしまった。急ぎ中之島へ、3時過ぎから閉館の5時まで立ちっぱなしであった。

 お陰さんで、脳にいつもと違う刺激が入って妙に頭はさえ、脚はガタガタで、調子は昔よくやった立ち飲み2時間、4、5杯?と言ったところか。帰りの電車では、珍しく席を探していた。

 数年来、絵を描いていない。自分の絵の評価は別の機会にするとして、再開するかなあ。かなり刺激を受けた次第である。あらためてアートの力はすごいと感じた。良かった。



道沿いの樹木伐採、再び2023年06月09日 15:47

 道沿いの樹木伐採、再び


 先日、近所から道に出ている木を切って欲しいと言ってきた。一昨年、大木をプロに切ってもらったところである。確かに高さ5メーターぐらいの木が電線(電力線と電話線)を超えて道にかぶさっている。

 写真は切った後だが、大体イラストのように被さっていた。手前の枝葉は道入り口の柿の木。そのうちこれも切らねばならないが、またの機会にする。


 その辺りは田の斜面で淡竹か真竹が繁茂している。ざっと、径10センチぐらいのが2本と20センチぐらいのが3本ある。樹種は雑種だが、ムクとネズミモチのようである。来年まで放置すれば、素人には手に負えなくなる。うーん切ってしまおう。

 梅雨入り前に何とかしないと、秋には一回り大きくなる。伐採に踏み切った。高齢者の補助2名を入れて1日で切った。

 例の如く、梯子をかけて、上の枝から落としていく。上下のバランスを考えないと、あまり上の細いところで切ると、葉っぱがけっこう重たいので、ひっくり返って電線にぶら下がってしまう。実際一枝が引っかかって取るのに難儀した。

 下の太いところで切るのも、半端な重さではないので倒す方向を間違うと危ない。

 切れる枝は落とした。残った幹は、できるだけ上の方にスリングベルトをかけて、上の田に植えたさくらんぼの木の根本に回した。

 伐採の基本である受け口と追い口を作って切った。少し危なかった。受け口の三角の破片が取れないので、切り込みすぎたのだ。中途半端に切り口で木が折れた。倒れないで枝が電線にもたれかかって立っている。一部つながったままなので、チェンソーを噛んでしまって抜けない。追い口を別のチェーンソーで切って、下にドサっと落ちた。危なかった。


 道沿いのはみ出た小枝もチェーソーで切った。これでとりあえず背の高いワンボックス車を擦ることはあるまい。秋から冬場にもう一段刈り込むことにしよう。


 伐採の基本は分かっていても、自然木を想定通りに切るのは難しい。素人は経験が少なすぎる。さらに、高齢者はかなりの安全率を見込まないと危ない。 

 今回はうまく行ったが、もう限界かもしれない。免許証の返納と共通する高齢者の課題である。個人差があるので、年齢で線引きするわけにいかない。

 悩ましいのだ。とにかく、一、二年で前栽の樹木を整理しよう。考え方は、樹木の間引きと、背を低くする事。庭作りは後回しにしよう。




庫裡の雨漏り2023年06月19日 11:16

 庫裡の雨漏り


 この前の台風2号のときの大雨で庫裡で雨漏りがあり、畳が濡れた。畳を上げて乾かさねばならない。昔の京間の畳である。一部ではあるが濡れているので半端な重さではない。全部濡れたら、一人で持てない。

 全ての窓を開けて部屋に風を通した。これまで、ここで雨漏りしたことがないのでショックだ。外に出てみる。草(ハルジオンかヒメジオン)が一本立っているではないか。

 登って確かめたところ、草は直接関係していない。その下の隙間(隅棟の付け根)が枯れ葉と泥で詰まっていたのが原因である。



 この隙間はよく詰まるので、気をつけている。ここの位置は周りに高い木がないので、放っていた。3年ぐらい見ていなかった。甘かった。

 屋根の掃除とチェックに半日かかった。これで今年の梅雨は大丈夫のはず? 家は雨漏りで一気に腐朽する。今後のことを考えると、毎年屋根のチェックも大変なので、ネットでも掛けるかな。

 貧寺も吾もとうに峠を越えた。下りは、だんだん急になるように思われる。対策はこまめなチェックしかないようだ。




目から鱗 ショックドクトリン2023年06月30日 19:20

 目から鱗 ショック・ドクトリン


 NHKの100de名著で「ショック・ドクトリン」をやっていた。著者はジャーナリストのナオミ・クラインである。ショックドクトリンの言葉の意味は知らなかったが、見ているうちに気になっていたキーワードがどんどん出てくる。フリードマン、シカゴボーイズ、新自由主義、規制緩和、民営化などである。

 水道の民営化に関心があったので、昨年、関連のブログを2回書いた。もう一度この問題を思い出してほしい。


http://aaji.asablo.jp/blog/2022/02/  http://aaji.asablo.jp/blog/2022/07/  )


 この本は実際にはまだ読んでいない。テレビ番組の域を出ないが、新自由主義者が世界中の、特に政治を戦略的に動かし、さまざまな問題を起こしてきたことが良くわかる。

 10年以上前の会社員のときにMBAを持つ知り合いに、フリードマンや新自由主義についてたずねた。いきなり写真の本を読めである。さすがに読めないのでレクチャーしてもらった。ストーリーは番組で言っているのと変わらなかった気がする。


 戦前から戦後1990年ぐらいの経済学と政治について述べられている。

 日本では、1990年代半ばに米国から水道の規制緩和の要求があり、その後、同時に世界では民営化が進み、国内では2018年にコンセッションを可能とすべく水道法が改正された。

 大阪では維新と新自由主義者が組んでやりたい放題をやった。民営化で誰が利するのか市民は知らない。さらに厚労省もその名残の予算を「新たな官民連携」と称してPPP/PFIを推進すべく予算をつけている。

 どんな政策、思想、主義主張にもメリットとデメリットがある。新自由主義も出現して半世紀になる。その間の経済発展に貢献した。一方で、市場原理主義は社会全体に格差の生む仕組みをねづかせた。元には戻らないので、新たな経済的な仕組みへと変貌していくのだろうと思われる。

 社会インフラに競争原理を持ち込んで、メリットが出るのはどんなインフラだろうか。代替手段がある場合は競争は成り立つかもしれない。

 日本の水道のように井戸水の時代から一世紀以上かかって飲める水を蛇口から出せるようにした。普及率は98%である。世界に類を見ない飲料水ネットワークを築いている。

 飲料水は蛇口ではなく、ボトルで飲む習慣の国で起こった水道の民営化を、格差が広がったこの国に持ち込めば悲惨な結果になるに違いない。

 公共サービスの仕組みを壊せば、元には戻らない。赤字の水道事業を民営化したって黒字になるわけがない。あの手この手の水メジャーの戦略にどう対峙するか知恵を絞らねばならない。

 ショックドクトリンの後にできたのは、国の崩壊と格差拡大である。ソ連は崩壊し、ロシアの独裁者は戦争をやっている。元祖の米国は軍需産業でホクホクである。

 国際社会で日本の選択肢は多くない。水道の安全保障についても、ローマ字の政策はリスクをともなう。まずは、世界中に仕組まれたこの考え方の功罪を、市民に広く知らせることが大事だと思う。

 NHKも深くはつっこめない。番組は、この種の問題で、犯人探しをやっても仕方がない。せいぜいこんなことがあったよで終わった。

 考えれば考えるほど無力感に苛まれる。高齢者は身体にこたえる。ぼちぼちやめよう・・・