「疲れた心の癒し方」ー老いを考える2024年01月07日 20:00

 「疲れた心の癒し方」ー老いを考える

 五木寛之がラジオ深夜便で「三つの想」のすすめを提案していた。「想」の言葉に惹かれてこの本を読んでみた。

 先のブログ「生・老・病と回想」(http://aaji.asablo.jp/blog/2023/11/23/9636800)で、老いて回想するのは自然なことだと書いた。五木は、回想を何度も繰り返すことで、一人の時間を生産的で創造的なものにできると言っている。

 「三つの想」とは、一つ目は「妄想」、想像力でこれまでの経験を想像力で膨らませ、楽しむ。

 二つ目は「回想」で、「思い出にふけること」ではなく、「記憶の旅」ともいうべき積極的な行為である。高齢者ほど、広く、深く記憶を集積している。認知症状の緩和やうつ予防に有効なので、ぜひ、思い出を活用する力をつけてほしい。

 三つ目は、「思想」で、生死に関わるテーマをじっくり掘り下げてみてはどうか。

 高齢になれば一人の時間が増え、孤独感がます。これを恐れるのではなく、誰もが実践できる「孤独を楽しむ方法」として提案したいと言う。


 著者には、戦争という壮絶な経験があって、回想にことかかない歴史をもっている。平和ボケ気味の戦後世代とは、思い出の豊かさは比較にならない。戦後の生死をさまようような経験は、一時的ではあるが自然災害、事故や病気であろうか。昨年、癌になったが、治療がうまくいっているのか、今のところ、さほど辛い経験になっていない。

 「三つの想」の実践は今は難しいというか、必要性を感じていないのが現実である。まだ、心の疲れは深刻ではないのだと思っておこう。ただ、物事に対する感じ方や考え方は、若い頃と比べると変わっていると思う。

 病気のせいかもしれないが、好奇心、感受性などが鈍くなっている。それに理性と感性のバランスもくずれ易く、涙脆くなった。総じて神経回路に忍耐、柔軟性がなく、弱っている。

 老いるのに個人差はあっても例外はない。確実に進む。あまり考えないようにしているが、これが頭に浮かぶとやはり不安がつのる。そんな時に高齢の方は、老いとどう向き合っているのだろうかと思う。

 高齢といえば、昨年、画家の野見山暁治が102歳で亡くなった。その間際まで絵を描いていたそうで、すごいと思う。作品のすごさはあまり分かっていないが、絵描きということで特別な思いを持っている。エッセイを読んでみようと思っている。


***

 新春は無事一つ老いたことに感謝する時でもあります。先達のお知恵を指標に、老いに積極的に向き合って、未知なる面白い世界を目指そうと思うのです。

 初夢・・脈絡はボケてますが、キーワードは女性かな「光る君へ」もあるし・・四苦八苦の世から楽園を目指す頑固な初老、鼻歌交じりで出かける・・

 ♪♪探し物は何ですか?・・まだまだ探す気ですか?・・夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?・・♪♪ 

 行ってらっしゃい。私はここで待ってます。行き過ぎたら、帰ってこれないそうよ。・・そんことあるかえ。戻ってくるわい。・・お気をつけて・・

 ここで、ゲーテの言葉「母性のような永遠の女性的感覚が、我らを正しく導く」、深掘りせず、素直に、老いてますます、永遠の女性的感覚にお世話になります。深謝!

 本年も、拙なるブログのご笑覧、よろしくお願いします。

               阿々寺 幸太郎 九拜



コメント

_ やっちー ― 2024年01月09日 10:11

あるがままの自分をいつになったら素直に受け入れることが出来るのだろうか。
欲望と理性が交差する。くすぐられる欲望がある限り、枯れずに生きているのかもしれない。枯れてたまるか。

_ アージ ― 2024年01月09日 16:35

新春いきなり難しいテーマになりまして、申し訳ありません。自分て、いろんな面を持っていると思ってます。好きな自分、嫌な自分いろいろ刻々と変わっているように思います。納得している時間が一杯になれば、良いですね。ちょっとトレーニングがいるかもね。挑戦したいと思ってます。
ところで、やっちーさんの言う、枯れるは侘び寂びとは違うようですが、私はこの枯れるに興味を持ってます。

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