化学繊維と天然繊維2022年06月13日 20:56

 化学繊維と天然繊維


 スポーツジムでは挨拶がわりに、何気のない会話が飛び交う。来ていない人のチェック、天気から野球、体調などである。それはそれで挨拶なのだが、意外と細かいことにまで、気がついているし、よく見ている。

 風呂の脱衣場で七分丈のパンツ一丁になっていた時のこと。ケツ破れてるぞ。えーホンマかいな。うそ言うてどないすんねん。

  実はそのパンツ、コーナンで買って間もない。メッシュの生地で部分的にほつれていた。うーん残念。ポリエステル100%で、丈夫だと思っていたが、網なので、細い糸1本切れたら穴になる。それに機能性の下着は肌に密着していないと効果が出ないので、ピッタリサイズを買った。Mサイズである。

 この組み合わせ、ポリエステルとピッタリサイズは最悪である。ポリエステルは耐久性は良いが伸びないのである。水泳パンツで経験しているのにメッシュだから良いかと思ったらとんでもない。同じメーカーのメッシュのシャツもMを買ったが、脱着が大変で使えないので、人にあげた。

 結論として分かったことは次の通り。

⑴ ポリエステル100%はあまり伸びないので、ワンサイズ大きめを選ぶこと。

⑵ 伸びの良いポリウレタン入りのものは、必ず加水分解でウレタン繊維が切れる。比較的早くよれよれになる。

 使い捨て文化は馴染まないので、出来るだけ長持ちするのを選んでしまう。最近の合成繊維はよくできているので、サイズが合えば長く使える。昔の話だが、ストッキングが絹からナイロンに変わった時の感動を、親の世代から聞かされたのを思い出す。

 今や天然繊維から合成繊維へ更に地球に優しい再生繊維に移っているらしい。再生繊維には植物系と化学系があるが、マイクロプラスチックのことを考えると、化学系のリサイクルはこれからのようである。

 今着ている下着はほとんど化学繊維が混ざっている。今や綿100%のものは、数着だけである。綿製はほころびてきたら作務用にまわす。下着として、どうにもならなくなったら、割いて雑巾や小さいものはキッチンペーパー(熱いフライパンの油ひきなど)代わりに使っている。流石にパンツだけはキッチンや食卓で使うのは抵抗があるので、機械の整備用にしている。熱がかかる場合は化学繊維は使えないので重宝する。

 今、世界は消費まかせに作ってきたプラスチックの始末に困っている。結局、自然の循環システムに乗らない化学物質は細かく割れて、陸から河川、海洋に分散する(地球のエントロピーの増大を加速する)。どこかでこれらの微細破片を集めて濃縮させる作用が必要だが難しい。例えば、日常の生活でホコリがでる。家の中では時々掃除機で集めないと、ホコリは増える一方である。

 ゴミの分別回収も、ようやく定着してきているように見えるが、プラスチックゴミの最終処分には課題山積である。実態は公表されていない。こんな状態で教育もままならず、自坊の道沿いの茂みには、小さなゴミの投げ込みが絶えない。自然派としては生分解の材料開発と同時に、使い切る(始末する)文化の醸成を望むが、いつになることやら。

 吸湿速乾インナーは草刈りの時に着るとして、出来るだけ綿を愛でよう。ホームセンターで売ってるかなあ。


宝の枝山整理2022年06月15日 16:49

 宝の枝山整理(竹棚積み)


 梅雨入り前に野積みの枝を整理した。薪として使いやすい枝である。竹を組んだ棚に積んだ。この作業も大人3人で、ほぼ1日仕事であった。



 何とか梅雨前の晴れた日に積み上がったのでホッとした。



 この時期の草はあれよあれよと言う間に生い茂る。それに雨が降ると丸太の底から腐食がすすむ。


 例の太い丸太も、今のところ使い道が決まっていないものの、このまま腐らすのは惜しい。何か手はないか。直接地面につかなかったら良いのだ。底に竹を突っ込もう。

 だが、容易に動かせる重さではない。テコが要る。長さ1メーターちょいの「鋼製根切り」がある。これと丸太の切れっ端でテコを作ろう。

 丸太の底にセットした。力を入れてもびくともしない。柄の長さが足りない。根切りに単管を挿して柄を長くした。体重をかけてようやく浮いた。少しずつ竹を差し込んだが、丸太は丸い。ぐらつき、転がる。高く持ち上げられない。径50ぐらいの細い竹を嚙ますのがやっとである。丸太の重さで竹が地面にめりこんでいる。これで腐食を止められるかなあ。時々様子を見るしかない。


 丸太と地面とのわずかな隙間は、蛇などが潜むのにちょうど良い。この辺りでは「はび」と呼ぶ毒蛇がいて、草刈りで時々お目にかかる。また、竹棚に積んだ枝山は、スズメバチかアシナガバチの巣作りにちょうど良い。近くに水場はないが一種のビオトープである。

 住み着いた生物を驚かせないよう、静かに注意深くうろつかないと痛い目に遭う。今はまだよいが、晩夏から秋が危険である。前期高齢者、注意力が衰えてきている。うっかりすることが多い。自然農法の草畑では蚊取り線香は役に立たない。下は長靴、頭は防虫ネットで防御するしかないのだ。自然はあまくない。用心・・用心・・・



砂と壁・・自由とは(雑念シリーズ2)2022年06月22日 14:49

砂と壁・・自由とは(雑念シリーズ2)

 

 「100分de名著」を見ていた。NHKのTV番組で、テーマは安部公房「砂の女」である。近頃気になっていた問題を解くヒントがありそうに思った。

 AIの分析ではないが、専制主義、民主主義、人民、国民、難民、戦争、軍隊、などの範疇で人は自由をどう考えているのであろうか。

 この作品は、砂は自由の象徴として考えていた主人公が、砂の壁に幽閉される物語で、自由とは何かを考えさせられる。

 早速、図書館から「砂の女」を借りた。古いので文庫版で、活字が小さく老眼にはきつかった。放送もあるので、一気に斜め読みして翌日返した。読み終わって、ぼんやり、次のように思った。

⑴ 自由は自身が思うことで、他が感ずることではない。

⑵ 自由と不自由は一対で、苦楽に通ずる。

⑶ それは、生命、時間軸にそって無限に移ろう。

⑷ 界の中で生まれる全ての人間は、自由と不自由に立ち向かわざるを得ない。

 だから、人にとって「自由」とは、群れる故に、宿命として自由を求め(闘争)、獲得し、また無くすような、永遠の脳の働きではないかと思う。

 このように考えてみたものの、何かすっきりしない。身近な言葉だが、単純ではないことが解った。深掘りするには、哲学や脳科学が要る。老眼と老化が書籍を遠ざけ、とても手に負えない。


 一晩ぐっすり・・♪・・夢の中へ・行ってみたいと・♪・遠い~世界に・旅に~出ようか・・♪・・朝には彼岸か・・・あの世に逝っても分からんままかもしれん。そんなことは山ほどある。まあ、ぼちぼちでいいか・・・