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須田剋太のある「喫茶・美術館」 ― 2021年02月22日 17:45
ブログ 須田剋太のある 喫茶美術館
家人から、「喫茶・美術館」と言う喫茶店に須田剋太の絵があると聞いた。早速行ってみた。家から徒歩30分、歩道横に置かれた看板は写真のようによく見ないと判らない。
左に曲がって奥へ進むと入り口がある。
喫茶・美術館の入口
店内は写真のように、松本の民芸家具で揃えられている。外の景色から一変して大正ロマン風と評される。壁には須田剋太の絵と書が掛けてある。
コーヒーを頼んだ。
チラシをもらった。
この美術館ができた経緯は、次の通りである。
お好み焼き店「伊古奈」の主人、大島墉氏が司馬遼太郎の「街道をゆく」で須田の挿絵に出会い惚れ込む→近所の鍼灸師が司馬遼のマッサージをしていたので、師を通じて司馬遼に須田剋太を紹介してもらう。須田剋太の絵がこの3人が繋がる赤い糸になり、大島氏の夢が実現することになった。
若い頃、須田剋太の展覧会に行ったことがある。絵はぱっと見は汚いが妙に気になった記憶がある。今回、新ためてその迫力に感動した。須田画伯について少し調べようと、図書館に行って「画狂 剋太曼荼羅:加藤 勉著」を見つけた。若い頃の変人ぶりは尋常ではない。すごいの一言。
晩年になって普通になったように見える。まるで悟りを経験した禅僧のようだ。道元禅師が側にいたようで、正法眼蔵を研究していたそうだ。芸術の本質は禅となんら違いはないとのこと。文字・言葉では判らない。実践あるのみ。そこから産出する、表現、動き、生き様にブレはない。
以下の写真は「画狂 剋太曼荼羅:加藤 勉著」より拝借。
やはり書画はかなり迫力がある。じっとみていると絵は深い。尋常では描けない。須田画伯亡き後、安野光雅が挿絵を描いた。画風はメルヘン調である。何か対立軸にあるようだが、どちらも感動することに変わりはない。感情の表現という意味で共通しているのだ。怒り、喜び、畏れ、祈りなど人に普通にある制御が難しい感情ではないか。人はこれらを内にしまっておくことはできない。岡本太郎の「芸術は爆発だ」のイメージが脳裏に浮かぶ。須田剋太風の迫力が欲しいが、これは出そうと思っても出ない。自然体で、無、三昧の境地でバッと出るのだろうな。酒の力を借りれば、手っ取り早くそのつもりになるが、酔いがさめると大概やり直しになる。
人の絵を真似ても同じ絵は描けない。子供の頃、いや若い頃の絵も今はもう描けない。今日の吾は昨日と違うのだ。只々今を生きるに徹すのみ。
(参考) もう描けない若い頃のスケッチ。
URLは http://www.ne.jp/asahi/katano/yukio/
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