生・老・病と回想2023年11月23日 17:26

 生・老・病と回想


 朝は、食後直ぐには動けないので、机の前でぼーっとしている。上半身を立てておかねばならないので、横になるわけにはいかない。朝からTV、ラジオの放送は同じ事の繰り返しですでに飽きている。

 何かしらの考えをめぐらしている。こんな時、ちょくちょく祖母や親の言を思い出す。

 小さい頃は祖母について畑に出てた。ある時、田畑を売って寺を出て行っても良いかと問うた。オバア曰く、いかん、全部おいて出ていけ。

 戦後の農地開放の時、祖父を亡くしていた祖母は、田畑の保持にかなり苦労したらしい。怒っていたような記憶はないが、跡取りの孫に、こんな事きかれて、さぞかし悲しかったろうと思う。


 断片的ではあるが、幼少時に周りにいた大人の言葉を思い出す。そして、今、やけに納得するのである。自覚のないまま、気がつけば心身ともに老の中である。

 儒教では、高齢者を敬う教えがある。その影響をうけた禅宗でも、会合では、着席は僧侶の階級ではなく、年の順である。

 先代の跡を継いだある時、寺の寄合があった。自分は僧階が低いので、末席に座ろうとした。上座の老僧が近くに来いという。曰く、「ここでは年取ったもんが偉いんじゃ」。ここ数年で、11ヶ寺の部内では世代交代がすすんだ。僧の作法は新米のまま、今や3番目の年長者になった。

 年は、人に順番をつけるのに、万人が認める尺度である。何十年も生きるのは並大抵ではない。樹木でも動物でも、素直にすごいと思う。

 さて、若い頃のことを思い出すのは病気のせいか、年のせいか。

 病気で脳への新たな刺激は乏しく、悩みは心地良くもない。そんな時、脳は自己防衛で過去を思い出して懐かしむそうだ。病気の時や、年取って楽しい昔を振り返るのは、脳の健康を維持するのに自然なことのようだ。

 そうか、回想は病気と老化の両方の作用だ。この機会に懐かしい過去を大いに思い出そう。だが、楽しい思い出は滅多に出てこないのはなぜか。

 それは分かりません。自然体で行こう。考えすぎで脳までリハビリじゃたまらんからなあ・・・。