長瀬川、その昔 ― 2023年10月25日 09:15
長瀬川、その昔
散歩に行っている長瀬川はその昔、旧大和川の本流だった。
散歩道の途中に、石碑がある。河内に住んでいるので大体のことは知っている。この辺りは船が行き来していたと思うと、えらく変わったものである。
大昔、6,7000年前の縄文時代はこの辺りは海とつながった河内湾であったらしい。5000年ぐらいかけて湾→潟→河内湖と変化していく。
上町台地北端の砂洲がのびて湾は徐々に閉じられ、淡水化する。同時に大和川の三角州が発達する。詳しくは、アーバンクボタ11号(https://www.kubota.co.jp/urban/data/11.pdf )をみてほしい。
このように、大和川は河内平野の形成に大きな役割を果たした。三角州は河川の洪水によって成長する。同時に、災いももたらす。ここで生活する人々にとって、治水は最優先の事業である。
大和川の洪水対策も、石碑にあるように江戸時代の付け替えによって大きく進展したと思われる。そのおかげで、河内平野の中心を北進する長瀬川は疏水に姿を変え、その役を全うしている。この息の長さはめずらしい。
いつの頃か覚えていないが、川沿いの歩道は脇の用水路を整備し、蓋をしたものである。写真右の並木は桜で、春はみごとである。
鯉や亀の遊び場も作ってある。
やや人工に過ぎるが、市街地では仕方ない。水は縄文時代と同じように大和から流れて来ている。この流れが見えるだけでもありがたい。我が街では気が安らぐ貴重な場である。大切にしなければ。
コメント
_ やっちー ― 2023年10月30日 08:50
_ (未記入) ― 2023年11月05日 15:12
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