枝山の整理(3/6追記)2023年03月02日 15:34

  枝山の整理(3月6日追記)


 先日、大木を伐採した。沢山の薪に出来そうな枝が野積みである。このままでは腐ってしまう。大小混ざった枝山から有用な枝を取り出したい。

(写真は、大木の伐採その2 より再掲)


 最初は、山の整理で、大人3人で1日かかった。適当に使えそうな枝と捨てる小枝に分けた。有用な枝山は三つほどできた。


 次は、枝山の移動である。市道と溝を渡って70メーターぐらい運ぶ。


 溝にはコンパネなどの端材を置いただけである。ブヨブヨなのでちょっと心配したが、無事、一輪車に枝を乗せて何度も渡ってくれた。


 土手を上がった先が移動場所である。仮置きではあるが綺麗に枝を積んでくれた。枝の移動は大人3人、3時間で終わった。


 翌日、運んでもらった枝を奥の竹棚に移した。ここで乾かす。一人で半分ぐらい移した。やれやれである。

 大木伐採と同時に枝の処分が脳裏に居座ってしまう。時々思い出しては、すっきりしない日々が続く。

 春が来て草が動き出し、暑くなればこの作業は激務になる。たかが枝である。放っておくか?になる。雨が降るたびに腐食がすすむ。梅雨どきが一番腐りやすい。

 腐食に関わってきたものには、これを放っておけない。と言うことで、まあここまで来れば、曇りのち晴れで晩酌はうまい。

 お手伝い頂いた元気な高齢者の皆さまに、感謝申し上げます。有り難うございました。

               アージ 九拜

(追記)

 先日、積み残しの枝を竹棚に移した。1日かかった。腐りやすい細めの枝は大体取り込んだ。あとは太い枝なので、ぼちぼち運べば良い。とりあえず、これで一安心。






棚に薪積む2022年12月08日 16:33

  棚に薪積む


 今年の初めに、大きな木を5本切ってもらった。細かく刻んでもらって、田に野積みにした。そのままではすぐに腐ってしまうので、竹を敷いてその上に積んだ。薪にちょうど良い太さの枝を、整理し終わったのは6月である。

 http://aaji.asablo.jp/blog/cat/outdoor/?offset=10

 木は野晒しでは確実に微生物が分解していく。今や細い枝はスカスカで簡単に手で折れる。燃やしても火力は弱い。12月初め、ちょうど良い太さの枝も、部分的に腐り始めている。

 早速、新設の薪置き場に運んだ。


 積み始めたが沢山は望めない。とにかく積めるだけ積もう。


 一応、満杯まで積んでみた。これらの枝は、皮はカラカラで部分的に腐ったりしているが芯の部分は生乾きである。結構な荷重となっているようで、棚板がわりの竹の中央部が少したわんできた。下から支えることにした。何のことはない、丸太の半割をかました。

 これでも野積みの枝は3分の1程度である。残りをどうするか。汗かいて整理した枝が、朽ちていくのは忍びない。どうしたものか。野積みの上をカバーすれば良い。方法としてはブルーシートかポリカ波板か。またまた悩んでしまう・・・

 ♪哭いているような ・・・

  雨に打たれて ながれた ふたつの心は

  かえらない・・・ 無常の雨よ

  ああ長崎 思案橋ブルース・・♪




薪置き場の棚完成2022年11月29日 14:42

 薪置き場の棚完成


 薪置き場の棚を作った。薪は太さ毎に使う分だけ、少しずつ取り出せる様にしたい。そのため、棚と仕切りがいる。

 まずは適当な高さの棚を作る。構造は棚板は太めの竹を載せるので、その受台を作れば良い。

 仮組みをして、高さと水平を出す。



 

 棚受けを固定した。


 若干受けがひ弱な気がする。というのは、柱に溝を掘って受けていない。ただ、細い横木をネジで止めているだけ。上の棚は出来るだけ細めの枝を載せることにしよう。やばくなってきたら、受け用の添え木を追加しても良い。

 とりあえず形を作ってしまおう。歳とれば明日はわからん、気がせくのだ。

 あとは、少し太めの竹を並べ棚板にする。細めの竹を立てて簡単な仕切りを作る。材料は薮から拾ってきた。



 波板の屋根の端は雨の時は完全なシャワーになる。くぐる時が厄介である。やはり樋をつけよう。材料は藪にある。

 

 例のごとくとりあえず形を作る。ステンの針金で吊るした。これで雨が降っても傘無しで、薪を取りに行ける。


 正面から



 薪置場の形は完成した。材料は間に合わせで、竹も腐りかかているのが混ざっている。積みすぎたら危ない。

 高齢者の作品である。できた途端にポンコツなのだ。材料は波板を除いて、昔の本堂か庫裏の廃材と卑山の雑木(イチョウ、サルスベリ、カシ、ネズミモチ)である。老化具合のバランスが悪い。おのれの身体と同じで、弱ったところはメンテしながらボチボチ動かすのだ。

 設計図はない。適当に選んだ方法が、なんともおのれの老化とバランスしているではないか。おのれが先か棚が先か、いずれにせよ、始末はたやすい。

 先のブログで書いたが、組み立ては針金とネジ釘だけである。材料のリサイクルもし易い。この工夫、匠の技ではないか、いや面倒臭がりの老人力、ボケ防止のうちか。

 おーい、彼岸はまだ先か。棚は、悪いところは取り替えられるが、身体はそうも行かんでなあ・・・まあ、今シーズンは両方、ノーメンテで行けるでしょう。



イタチのお供え2022年11月04日 17:58

 イタチのお供え


 久しぶりに参道の掃除と剪定をした。門の内側に何やら黒いモノがある。何者かのフンである。黒いのはアケビの種だと思われる。これをあちこちばら撒かれ、芽が出て困っている。建物の隙間や、田んぼ畑にアケビの蔓がある。刈っても刈っても芽が出てくる。たくましい。歌に詠んでる場合では無い。

 多分イタチだ。門の戸と敷居の隙間が通り道になっている。この隙間を通ることは、以前からわかっていた。敷居の内側の三和土面が窪んでいるのである。



 閉門しているのに、お参りに来る。これは遠慮してもらおうと、一時、電気柵を設置した。針金は柵線である。それで出入りの気配は無くなった。

 門までの配線は竹藪を通していた。竹藪の整理や竹の子掘りに邪魔で仕方ない。イタチも学習したようなので、2年前にその部分の電気柵を撤去した。ただ、他のルートからの侵入は休みなしである。最近になって、山門ルートを復活させたようである。おまけにお供えまでしてある。

 先月、貝塚市願泉寺の表門のくぐり戸の板が破られた。国の重要文化財らしい。こちらは何の指定も受けていないが、寺の門、石畳み、土塀の一部がほぼ建立当時のままで、貴重である。当山は門が唯一寺らしさを残しているのだ。



 外側戸板にはイタチの手の跡がついている。欅の板と聞いている。腐ってはいないが、薄くなっている。これをイタチの好きにさせられない。

 さてどうするか。再度電気を引いてくるのも面倒だ。とにかく隙間を埋めよう。門に障害物は置けない。竹はどうか。取り外し易い。竹ならいくらでもある。



 ということで、とりあえず竹2本で隙間をふさいだ。これで様子を見よう。

 手前の丸太は入り口にあった楠で小休止の椅子として使っている。また左右の石は、庭にあった灯ろうで、左は屋根で移動するときに割れてしまった。砂岩でボロボロである。右は本体であるが上下は反対に設置してあった。どうも壊れたものを寄せて体裁を整えたのでは無いかと思う。大きな庭木を伐採したときに邪魔になるので動かした。元に戻そうか思案中である。

 参道の入り口からの石畳、門右側のお堂の写真を撮った。石畳は建立時のままだが、その他は改修している。


 入り口から


 門前



 門右のお堂


 門の内側


 門の屋根は葺きなおしている。昔の屋根はもう少し反っていたが、宮大工に頼んだわけではないので、反りはほとんどなくなった。屋根の端の獅子は古いのを載せている。後でつけた様で銅線でくくりつけている。どうも収まりが悪い。

 文句は言うまい。戦後ボロボロになった寺を先代がここまで再建した。田舎の貧寺はこれが精一杯である。あまり考えたくないが、地震で壊れたらどうするかなあ。今のところ屋根の雨漏りや、土塀の補修などDIYでちょこちょこやっている。

 地震は別にして、家屋と自身がどちらが先にくたばるか、競っている。今年になってマンションの改修積立金も跳ね上がった。

 イタチの相手をしている場合では無いぞ。いや違う、先の鬱陶しいことは考えなくてよい。今できることをやるだけよ。




小屋の魅力2022年09月30日 08:19

 小屋の魅力


 小さい頃から小屋が好きだった。ダンボール箱で作った。その時分は大きめの箱は捨てずに取ってあった。木製のりんご箱などは親のもので、子供は手を出せない。紙の箱は遊び用に与えられた。中に入ったり、積んだり穴を開けたりして遊んだ。どうしてか分からないが囲われた空間に入りたがる。手の届く範囲というのは安心できるのだと思う。

 ある程度の歳になって、この興味は現実味を浴びだす。色々書籍をさがしては読み漁った。写真を見てあれこれ楽しむのである。その度に夢が広がる。建築関係の本は写真が多く高くて手が出せない。本屋で見つけては図書館にリクエストして借りた。

 夢に終わってはなさけない。手が届きそうなのは小屋である。「小さな家・可愛い家」は写真集でよく借りた。面白い家がいっぱい載っている。


 建築家で有名なル・コルビュジェの「カップ・マルタンの休暇小屋」にも憧れた。この小屋はかなり良く考えられているので有名だ。


 日本では藤森照信のツリーハウスや茶室も面白い。流石にツリーハウスは作ろうとは思わなかったが、材料を含めて自然を生かす考え方が気に入っている。この前行った草屋根の近江八幡のラコリーナも良かった。

 中村好文の「小屋から家へ」は買った。この本に古今東西の面白い小屋が紹介されている。


 出典:中村好文 「小屋から家へ」TOTO出版


 鴨長明の方丈は京都下鴨の川合神社に復元されているので、見に行った。また、良寛の五合庵も新潟まで行って見てきた。だが、感動は現物を確認することで終焉した。

 結局、色々夢を見てロマンを膨らませたが、実際に作ったのは単管を組んだ小屋である。設計はするものの、その小屋で何をするのかを考えた時、あれもこれもになる。利休の茶室のように削ぎ落とすわけにはいかない。結局、コストと手間がふくらみ、夢は破れる。考えすぎのきらいがあるので、とりあえず、薪や農具の一時置き場を作ることにした。

 初めて単管で組んだ小屋は、構造的にバランスが悪い。長さ3メータの単管を柱にした。地面を少し掘って20センチ位埋めた。単管の掘立て式である。問題は筋交がなく、垂木が細いのだ。ねじれはクランプのヒンジ強度に依存している。上部が軽いので壊れることはないが、ぐらぐらで屋根に上がるのは怖い。


 出来上がって、中にいろいろ置き出した。そのうち奥に行く通路がなくなり、ものの出し入れが不自由になった。物置として使い勝手が悪い。

 中に立てかけてある古い柱などを外に出そう。そこで周囲に庇を出した。その下に簡易な棚を組んだ。この辺りは単管なのでやり易い。これで飛躍的に使い勝手が良くなった。ただし、周囲は多少濡れてもよい長尺の廃材などを置いている。



 とりあえずこんな物置から手をつけた。体裁を気にすることはない。手軽に改造できて結構面白い。

 このころから、単管ワークに自信がついてきた。「たねや」のラ コリーナ近江八幡の草屋根 (2021,11)でも書いたが、屋根に草を生やす藤森先生の建築にあこがれていた。

 それではというので、単管組みで作ろうと考えた。屋根に土をのせるので、素人なりに強度計算もして、筋交なども結構いれた。


 屋根の構造は野地板にOSB合板、ポリカ波板である。波板の継ぎ目は接着剤でコーキングした。素人である。防水シートをかますのを忘れた。いざ屋根に登ると波板がブヨブヨで頼りない。まあ、なんとなるかと思い、とりあえず腐りにくいシュロの木を載せて、四角の囲いを作った。囲いの中に防水シートを敷けばよい。

 ここまできて、屋根の上に生やす植物のことを考えた。藤森先生の家はタンポポハウス。赤瀬川原平の家はニラハウスである。いずれも散水装置がついている。また植物は種を作る。タンポポの種はよく飛ぶ。近所からクレームがでたことを何処かで読んだ。

 我小屋に散水となるとホースで撒けばよい。手入れにしょっちゅう屋根に登らねばならない。この辺りまで想像して、草屋根はあきらめた。残念無念である。

 数年経って、屋根に載せたシュロの皮はカラスが巣の材料としてつついて行った。幹の部分は腐って蟻の餌になっていた。重かったシュロもスカスカになっていた。全て下ろして普通の波板の屋根に戻した。

 そのうち草や剪定枝などの処分場がほしくなって、小屋の前に焚き火場を作った。火からまわりの樹木を守るのも兼ねて、小屋から単管を伸ばして、長い庇を出した。これで小雨ならしのげる。この辺りの拡張性は単管ならではである。台風が来れば飛びそうだが、また修復すればよい。


 単管小屋は二つ作ったが重宝している。おかげで単管の取り扱いは上手くなった。雨の日が良い。小屋の雨漏りの点検が楽しい。不具合や改善箇所も見つけやすく、そこからまた色々構想できる。

 手が届きそうな夢がよい。構想してから完成までのプロセスが最も楽しい。これは絵を描くときも仕上がり前がよい。そばにワイングラスでもあれば最高である。

 プロセスが楽しいのはなんでも一緒かもしれない。たとえばカメラを買うときでも、機種を選んでいる時が一番ワクワクする。買ってしまえば熱は冷める。

 結果はすでに過去のもので、変えようがない。自由度のある先は面白いのである。散歩やドライブとよく似ている。人間はうまくできている。即今で生きて、想いは先に、楽しくすごしましょう。

 次の、単管ワークは般若湯片手に、只今構想中・・・夢はふくらむ・・・さて・・・?